「悪い仲間」だった頃 2

 「悪い仲間」というのは、安岡章太郎さんの小説です。安岡さんが

いうところの「悪い仲間」のリーダー格が藤井高麗彦という人物になる

のですが、これは名前からもわかるように古山高麗雄さんになります。

ガラスの靴・悪い仲間 (講談社文芸文庫)

ガラスの靴・悪い仲間 (講談社文芸文庫)

 

  安岡さんと古山さん、倉田さんがバカをやらかすのは、当時の名門で

ある「城北予備校」に在籍していた時のことです。古山さんなどは、無事

に旧制第三高校に合格したというのに、そこをさぼって東京にでてきて、

一緒に遊ぶのですから、それは壮絶なのです。

 古山さんはエリートコースにのって生きていきたかったという気持ちと、

時代に利用されるのはごめんだというような思いの間で、破滅的な遊びに

のめり込んでいくのです。

 当時の要領の良い生き方というのは、どちらにしても兵隊に取られるの

であるから、できるだけ死ぬ確率の低いコースに入れるようにするという

もので、旧制高校から帝国大学理科へといって、一番は医者になったりす

ることでありました。そんなのも戦争の激化によって理系であっても猶予

がなくなるのですが。

 当時の親としては、できるだけ戦争で死ななくて済むような道を歩ませた

いという思いがあったでしょう。従って、経済的に恵まれた親たちは息子に

は教育を授けて、兵隊に取られるときには幹部候補生となれるように計らっ

たでしょう。

 「悪い仲間」の倉田さん、古山さん、安岡さんともに一兵卒として入隊す

ることになりです。倉田さんは戦死、古山さんは戦争犯罪人に、安岡さんは

結核のために社会に戻されることになりです。

 ということで、当時の教育ママにすれば悪い仲間のリーダー格であった古山

さんは眼の敵となります。

 古山さんは「私がヒッピーだったころ」(荻原魚雷さんが編集する「編集者

冥利の生活」の冒頭に収録です。)には、次のようにありです。

「倉田は過日逝去した日立の会長倉田主税氏の四男坊だが、私は主税氏からは、

言葉に出して非難されたことがある。

『博光にあなたのような友だちがいなかったら、博光はまともな道を歩いたに

違いない』

 私は主税氏の言葉に反発しながら、自意識としてそれを肯定しないわけには

いかなかった。」

 そういえば、当方も予備校に通っていた頃に、そこで知り合った友人のとこ

ろへと遊びに行った時に、そこの教育熱心な母親に露骨に嫌な顔をされたこと

を思いだすことです。彼は勉強が良くできてかなり難易度の高い大学医学部を

目指していて、こちらは彼とくらべるとひどく出来の悪い文系学生であります

ので、彼にすれば頭のいいのは、もういいかとばかりに、当方と遊んでくれた

わけです。彼の母にすれば、どうか息子が道を外すようなことはしてくれるな

と当方にも訴えたかったのでありましょう。

 彼は母の束縛から逃れたかったのでありましょうが、残念翌年も受験に失敗

し、そのままでありましたら、当方は「悪い仲間」として恨まれたでしょうが、

二浪にはいってまもなく新規で開設される国立大学医学部の試験に合格し、今

はめでたく医者を続けています。

 「悪い仲間」というのは、当方もそう見られていたことがあるということで、

それでも古山さんと比べると、まるでパワーが不足していることであります。