本日の話題 2

 ほとんど開かずの間のようになっている物置のような部屋にあった古い新聞を手に
しましたら、96年8月15日の朝日新聞夕刊でありました。昨日に、その一部を紹介
したのですが、一番大きなスペースをとっていたのは、「経済・政治のシステム転換」
という評論家 田中直毅さんの文章でありました。96年というのは、どういう年で
あったのだろうかと思いつつ、この文章を読み返しています。
「第二次大戦後も半世紀を経過し、五十一年目となった過去一年を振り返れば、主要な
テーマは日本のシステム転換だったと私は判断しています。
 過去から規定される現在と、未来から照射される現在のなかで、不確かな明日に果敢
に挑むのが投資で、その投資の帳じりは結局のところ投資家の損と得とで仕切られるの
が経済社会ならば、争点をめぐって対抗軸を掲げ、選挙における勝ちと負けとで暫定的
な社会的解を得るのが政治社会だ、というのが二十一世紀の日本のシステムに関する
私の見立てです。」
 96年というのは、この年にあった衆議院議員選挙から小選挙区制が導入されたので
ありますね。これがなければ、政権交代もなかったと思われますので、そういう意味で
は画期的なものでありましたし、選挙のたびに大きく議席が動くというようなことも
経験したわけであります。
田中さんは「争点をめぐって対抗軸を掲げ、選挙における勝ちと負けで暫定的な社会的
解を得る」とありますが、どうも最近は、争点を隠して勝ちと負けを争っているようで
ありまして、いかに隠すのが上手かで勝負はきまるようです。
 この時の田中さんは、次のように記しています。
「戦後五十一年目という一年間をとってみても、『継続』をその属性とする行政は、
国会によるチェック機能が不十分ななかで、病理をあらわにしたといえます。行政改革
が争点になるとすれば、それは各政党の自己批判が前提にならざるをえないでしょう。
もし自己批判もなく、行政の担当者のみの問題として行政改革が取り上げられるならば、
行政改革によっていかなる実効があがるのかについて、有権者の期待をかきたてること
は不可能と断言できます。」
 行政改革というのは、結局のところなんであるのでしょうか。
小選挙区を中心とする次期総選挙では、政党ごとの『勝ちと負け』とに収斂します。
勝利を期すれば、過去についての自己批判からでた新しい認識とそれに基づく公約とが
求められます。そして行政改革を争点に総選挙が戦われるならば、勝利を収めた政党は
その公約の実施状況が次の選挙の『勝ち』か『負け』かを左右することに気づかざるを
えません。」
 今回の参議院選挙の争点はなんだったのでしょう。三本の矢ということかもしれま
せんが、お札をすることだけなら、だれにでもできるのですが、国民一人あたりの
借金はべらぼうな金額となって、このような大きな借金は、当方は、これまで個人では
したことがありませんので、このような大きな金額を当方は返済する力がありません。