本日の話題

 まとまった休みがあれば手をつけなくてはいけないのは、あちこちの片付けでありま
す。その昔から切り抜きをしようと思いつつ、とってあった古い新聞紙も切り抜きをす
ることができないのであれば、思い切って捨ててしまわなくてはいけないのかもしれ
ません。すでにスクラップ帳に整理しなくなって、かなりになりますので、25年以上も
前の新聞がそのままの形で残っています。そんなにべらぼうに多いわけではないので
ありますが、古い新聞読書欄とか、かっての夕刊の文化欄などがあるはずです。
( これを今になって目にしますと、けっこう楽しくて、ますますのこと捨てることが
できなくなるのでありますね。)
 本日にあさっていましたら、1996年8月15日の朝日新聞夕刊がでてきました。
1996(平成8)年というのは、どういう年でありましたろうか。
 この日の夕刊には、次のような記事がありました。
 ・ 故郷の重み増す中上文学(熊野大学夏期特別セミナー)
 作家 中上健次の生地、新宮市で行われている自主講座でありますが、中上の死後に
も継続され、今年も8月2日から4日に開催されたとあります。中上さんが亡くなったのは
1992(平成4)年とありますので、没後20年を超えて、中上がはじめた自主講座が継続
しているのは、関係者の努力もありますが、中上と故郷の結びつきの大きさでありま
しょうか。
 ・ コラム「私空間」は筆者が新崎盛暉さんであります。
「わたしは、敗戦を、疎開先の熊本の田舎町で迎えた。国民学校三年性のときである。
といっても、八月十五日に何か劇的な出来事があったわけではない。わたしの印象に残っ
ている敗戦は、電柱の『敗戦はデマだ』という張り紙から始まる。
 敗戦と同じに、それまで『鬼畜米英』と教えていた教師たちは、手のひらを返すよう
に、アメリカ民主主義を礼賛するようになった。そのことへの反発を引きずりながら戦後
民主主義の時代を生きてきたわたしは、1952年四月、ある都立高校に入学した。その月
の二十八日、対日平和条約が発効し、第三条によって、沖縄は米軍支配下に置かれ続ける
ことが確定した。」
 新崎さんは、「今年の8・15がらみの集会はほとんど沖縄がテーマだが、そのことを
沖縄側は、どう思うか」ときかれて、それは「ヤマト」の人間が考えることと「ぶっきら
ぼう」に答えたとあります。
 今年のテーマには、この時ほど「沖縄」は問題になっていないようでありますが、別に
沖縄をとりまく環境が良くなったわけではなく、むしろ戦略上の重要性が増したことに
よって、話題にできなくなっているのでありましょう。