小樽にゆかりの 6

「しばらく前から藤堂は、Tさんには姉さんコンプレックスとでも呼べるある感情があっ
たのではないか、それが深くTさんの内面にくい入っていて、Tさんをずっと動かしていた
のではないかと思うようになっていた。
 Tさんのあの妖精愛のようなものがそれであり、ナジャ待望のようなものがそれだっ
た。
三十歳のアンドレ・ブルトンが現実のパリで逢った、ナジャという『さまよえる魂』、
さまよえる妖精、他界との交信者、そのような女とめぐり合いたいという心の固執、それ
がTさんという人に、・・一生持続したとして、その根元をつくったのは、Tさんの長姉
Mへの愛情ではないかと藤堂は考えた。『美しかった姉』とTさんは年譜にも書く。
 前日、Tさんの奥さんも、『姉さんというものは弟を可愛がるものだから』とぽつりと
いった。」
 上に引用したのは、飯島耕一さんの短編集「冬の幻」に収録されている「冬の幻」の
一節であります。
 あとがきに「Tさんとは亡くなった瀧口修造のことだと明らかにしたい」と書いてあり
ます。飯島さんは、瀧口修造さんについての多くの評論を残していますが、評論の形に
まとめることができなかったテーマを、短編集「冬の幻」として発表しています。
「冬の幻」の飯島さんのあとがきには、引き続き次のようにあります。
「『Tさん』はわたしにとっての瀧口修造です。亡くなったあと、わたしはすぐに氏の
ことを書くことができませんでしたが、いまようやくこういう形で、氏への思いをまと
めることができ、ほっとしています。」
 瀧口修造さんの妖精愛の根元には姉さんコンプレックスとあります。早くに父を亡く
し、幼くして家長となった瀧口少年は、蒲柳の質とでもいうべきところがあって、それ
を本人が強く自覚しているがために、なんとしても家業(医者)を継がせたいという母
と不和になったのでありましょう。
 母が亡くなったことで、瀧口さんは家業を継ぐという呪縛から解き放たれることになり
ますが、そうして入学した大学にも失望をしたときに、助け船をだしてくれたのが、美し
い姉となります。追い詰める母に助け船をだしてくれる姉ということで、姉への思い入れ
が美化されるのもわかるような気がします。