谷崎イヤー 3

 「芸術新潮」12月号の谷崎特集で残るは「住」であります。
「文豪は引っ越し真」とありまして、生まれてから亡くなるまでの住居が43箇所記録
されています。この特集にある小谷野敦さんの文章によりますと、谷崎が自分で建て
た家は「阪神間の岡本の家と最後の住処となった湯河原の湘碧山房だけである。」と
ありますので、一家を構えるようになってからの住まいのほとんどは、借りたか買っ
たかしたものであったのですね。
 小谷野さんは、谷崎の伝記を書かれた時に、「谷崎が住んだ土地は一通り見て回っ
た。」と記しています。谷崎の旧居は、谷崎が住んでいたということもあって、文化
財のようになっているようで、その住まいが今に残っています。木造の住宅を残して
いくというのは相当にたいへんなことでありますから、やはり谷崎は別格ということ
でしょう。
 この特集で、谷崎が京都下鴨での住居 後の潺湲亭は、谷崎から企業が譲り受け、
現在もその企業が守っているとのことで、このことはその会社のウィキペディアにも
記されていますが、会社のホームページにもそのことがでてきます。
( http://nissin.jp/profile/sekisontei_project/03.html )
 終の棲家となった「湯河原の湘碧山房」は、その後、企業が買い取り保養所として
使われているようです。湘碧山房で検索をしましたら、頭に会社名がついた名称で
ヒットします。こちらは保養所となっているわけですから、相当に手が入れられて
いると思われますが、この会社が、この建物をこれからどのように取り扱っていくの
か気になるところです。