ちくまの連載から

 当方は「なだいなだ」さんの著作には、まったくなじんでいなかったのでありますが、
ここ数年は、「ちくま」に連載の「人間、とりあえず主義」を楽しみにしていました。
この4月号は、「ローマ法王の辞任」というタイトルでありましたが、この末尾のほう
で、次のように記していました。
「ぼく自身は、最近、膵がんと告知された。前立腺がんと告知された時は、人生の第四
楽章が始まったと思った。そして、今は終楽章も半ばだという感じ。天皇家のことを、
右翼の嫌がらせがうっとうしくて、取り上げるのをためらっていたが、がんの告知で、
今はいうのをためらわない。」
 「ローマ法王」の辞任というのを受けて、そういうことを現実の日本の天皇に求める
ことはできないのか、そのほうが人間天皇にふさわしくはないかという意見でありま
す。こういう発言をするというのは、ためらってしまうが、この先が短いので、生きて
いるうちにいっておくというのですから、そう記するにはそれなりの病状であるのだろう
と思いました。なだいなださんは、医師でありますからして。
 これに続く5月号では、「横書き小説の意味」ということで、黒田夏子さんの作品に
疑問を呈しています。
 こちらの文章の書き出しは、次のとおりです。
「二つ目のがんを告知されてから、何でもいってやろうという解放された気分になった。
怖いものがなくなった。これからは遠慮なくいう。
 これまで遠慮していたのか、と驚く人もいるだろうが、ぼくだって遠慮することも
あったのだ。弱いものいじめは遠慮してきた。自分が年長であることを相手に意識させる
ことも、遠慮していわなかった。」
 この回は、横書き小説で話題となった作品がどうして賞に値するのか、自分にもわかる
よう説明してもらいたいというものでした。
 この連載は、先月末に届いた「ちくま」7月号にも掲載されていますが。付記として
「六月六日、なだいなだ氏が逝去されました。ご冥福をお祈り致します。」とありまし
た。あと一回くらいは原稿があるのでしょうか。
 それにしても、日本において文章を発表するということには、なにかとうっとうしい
ことがあるということがわかります。