月の終わりに

 6月は本日で終わりとなりますから、今年も半分が過ぎてしまうことになります。
早いことでありまして、うかうかしていますと、あっという間に今年も終わりに
なることです。
 今月はいろいろとありまして、時間的な余裕がなかったことだなと、六月を振り返っ
ての反省です。本は読めなくて、買う方もうまくいっていません。これは来月にはもち
こしたくないものです。
 最近、購入した本についてです。

 ひいきにしている田中克彦さんの最新の著作となります。岩波現代全書という新しい
シリーズの第一回配本の一冊となります。岩波全書というと、その昔に教科書として
使われていたような本が入っていたシリーズでありました。
 「シベリアに独立を!」というからには、そうした運動があったことになります。
シベリアには昔から人が住んでいたということすら知っていないのですから、「独立」
をといわれてもぴんときません。
 シベリアは遠い辺境の地というのは、ヨーロッパ側からながめたときの話であって、
日本からみると、当然のこと首都モスクワよりもずっと近いところの地域となります。
 田中さんの「はじめに」には、次のようにあります。
「シベリアはロシアの首都から見れば避遠の地だが、日本からは最も近いロシアである。
シベリア諸民族は、見た目も日本人とほとんど区別がつかず、かれらの言語も文化も
日本の始原の文化とは深いかかわりがある。日本人は征服者によって作りだされた、
ロシアの中央から見下されたシベリア感を単に翻訳して受け入れるのではなく、日本人
にとってシベリア像を自らの手で作らなければならない。」
 シベリアは、ロシア人にとってへ流刑の地であり、日本人にとっては戦後の強制労働
の地となっていて、どちらも良いイメージがありません。
 田中さんの著書には、参考図書が掲載されていますが、当方にとってシベリアについ
て書かれたものといえば、なんといっても長谷川四郎さんの「シベリア再発見」であり
ました。 長谷川四郎さんの本には、次のようにあります。
「十六世紀の中頃は、世界史的に見て、東洋に対して西洋が反撃に移った時期だが、
ロシア人のシベリア征服もまたそのころにはじまる。モスクワはそれまで三百年以上も
モンゴル人に支配されていたが、1552年、イワン四世の軍隊がとうとう、モンゴル人の
根拠地だったカザンを陥れた。そしてそのカザンからロシア人はウラル山脈を越えて、
西シベリアへはいってきた。」
 長谷川四郎さんは、満鉄時代に「ウスリー紀行」を翻訳し、そのなかでシベリアの
少数民族のことを学んだと思われます。敗戦後のシベリア抑留生活のなかで、シベリア
の人々とふれあいをし、1960年代の後半に貨物船でロシアにわたり、その当時のシベリ
アを報告しています。
 モスクワから見たシベリアではないという点で、長谷川四郎さんは田中克彦さんと
重なることであります。