ぼくの伯父さんの会5

 ここでは長谷川四郎さんの奥様である長谷川済子さんについての話しを河出道の手帖に
そって記していくこととします。

長谷川四郎--時空を超えた自由人 (KAWADE道の手帖)

長谷川四郎--時空を超えた自由人 (KAWADE道の手帖)

 長谷川四郎さんは、函館市の名門のご子息でありまして、ご兄弟がきらぼしのごとくで
あることはよく知られています。ご兄弟で最後まで健在でしたのは、妹の玉枝さんで
ありまして、彼女は芸術家以外は評価に値しないというような考えの持ち主であったと
聞いたことがあります。
 奥様の済子様は、職業軍人のご令嬢として、生まれ育ち四郎さんと結婚をされ、当時の
満州国で新婚生活をスタートされました。たいへんであったのは、四郎さんが敗戦後に
抑留されて留守宅をまもっていた時であったでしょう。四郎さんは、長いシベリアでの
抑留をおえても、しばらくは仕事につくことができずで、駐留軍の家庭でハウスキーパー
をしていた奥様が生計を支えていました。
 この河出のムックには、この本ならではのものがあります。
長谷川四郎さんの編集人といえば、福島紀幸さんによる長谷川四郎さんに対する「架空
インタビュー」です。これは88年に「辺境」(山中恒「ボクラ少国民」が連載された
井上光晴編集人の雑誌です。)に掲載のものですが、「長谷川四郎氏の著作、談話から
抜粋して構成しました。」とあります。
「 シベリアにいる間、女房とは文通など全然なかったから、アメリカのメイドをして
いるなんて知らなかった。帰ってきたあ二月のわが家の収入は、女房がアメリカ軍の
グランドハイツで働いて四千円かせいできたのと、国庫からの千円、それから、復員して
きたぼくに支給された二千円の合計七千円だった。三月になると国庫からの千円はなく
なり、復員手当ももちろんなくて、女房のかせぎ四千円だけとなった。」
 奥様がアメリカ軍のメイドをしていたのは、英語を話すことができたせいであります。
戦前の女性で英語をはなせたかたということからも長谷川夫人が、普通の人ではないと
いうことがわかりますでしょう。