デルスー時代

 長谷川四郎さんのすこしでも読み返す期間(山猫忌)であります。
 四郎さんの作品のなかでも小生が偏愛する「デルスー時代」です。この作品につい
ては以前にも黒沢映画との関係で話題にしたことがありますが、珍しくご自分のこと
について書いている作品となっています。
 四郎さんの作品は、中期から後期にかけてすこしシュールなものとなっていて、昔
風の小説が好きな当方には、読みにくくて、何度も読み返すことがありませんでした。
それでいくと「デルスー時代」は、自伝的な色合いの濃いもので、現実に近いと思わ
れる登場人物があって、四郎作品としては珍しくサービス精神旺盛なものとなってい
ます。
 この作品は、もともと「文藝」75年8月号に掲載となったもので、当方はこれを購入
して読みました。この作品を書かれた時の四郎さんは66歳くらいでしょうか、当方は
24歳でありました。それから40年ほどが経過して、当方は当時の四郎さんとほぼ同じ
年格好になりました。
 40年を経過しても読むにたえる散文でありますし、文体も古くはなく、書かれて
いることも、40年前よりは今のほうが頭にはいるように思います。
 次のようなくだりは、ほとんど記憶に残っておりませんでした。
「見送られた男はかなりの年輩で、白い夏服にパナマ帽をかぶっていた。そして
パナマ帽をぬぐと禿頭で、このハゲを片側からの数えるほどしかない毛髪で丁重に
おおっていて、それらの毛髪はハゲにぺたりとへばりついた感じだった。ハゲの人が
よくやる苦肉の策と見えた。男は丈がそう高くなくて、肩はばばかりか体ぜんたいの
はばがひろかったが、横から見ると、体の厚みがなくて、うすい感じだった。相撲を
とってみると、あんがい手応えのない男だったろう。この男のもう一つの特徴は脚が
ガニマタに少し湾曲していることだった。子供の時から馬に乗りつけた人はこういう
脚をしている。
 頭はひらべったくて目が青かった。蒙古系でもあればロシア系でもあれば蒙古系で
もなければロシア系でもなければ、といったような顔だったが、話す言語はロシア語
だけだった。」
 「デルスー・ウザーラ」の翻訳に専念するためにひと夏、避暑地である夏家河子と
いうところで生活をするのですが、そこから大連へといく列車でであった有名人の
スケッチとなります。数人の女ばかりにつきそわれ、彼女たちの見送りを受けていた
「年輩で、白い夏服にパナマ帽」の男性は、白軍の将軍(シベリアはザバイカルの
カザックの隊長)セミョーノフでした。
 セミョーノフはロシア革命でシベリアを追われ、夏家河子で日本の特務機関に飼わ
れていたと、四郎さんは書いています。「デルスー時代」にセミョーノフがこのよう
にでているとは、記憶されていませんでした。忘れることが多くて、読むたびに初め
て読むような感じとなることです。
 この「デルスー時代」は、小説集「長い長い板塀」に収録されています。