山の子供 8

 当方が作家「畔柳二美」の名前を知ったのは、中学生の時でありましたので、今から
50年も前のことです。それから、ずっと気になっていたのですが、これまではなかなか
読む機会に恵まれませんでした。
 当方が、これまでに入手したのはEDIから刊行された叢書の一冊と「姉妹」でありま
したが、これはいまだに積読でして、読むことができておりませんでした。
「山の子供」をのぞいたのを機会に、これらもすこし読んでやりましょうと思っており
ましたら、これらの本が見つからずです。
 「山の子供 一」には、次のようなくだりがあります。
「お二人(宮様御兄弟)は学習院のお休みを利用なさって、一週間ほど前から、この近
くのS湖畔に御滞在していられたのだった。その湖畔には、日本三大財閥といわれるM家
の別荘があった。M家は、この発電所を持つ会社の大株主でもあり、重役でもあった。」
 流域に王子製紙発電所がある千歳川は、支笏湖に端を発します。支笏湖からでる川
は、源流で堰き止められて導水され発電所へとむかいます。
川を堰き止め、発電所というと、大きなダムのような貯水池を思い浮かべますが、明治
期の発電所は、そこまで大規模ではありません。
 支笏湖から発電所までは4キロくらいでしょうか。三井家の別荘というのは、いまも
湖畔に現存しています。洞爺丸台風で森林が被害を受けたことから、それの復興のため
に「全国植樹祭」が支笏湖に近い場所で開催されましたが、その時に参加した天皇一行
は、三井家別荘に宿泊していました。
 2007年05月に、畔柳さんゆかりの支笏湖にあるビジターセンターで「畔柳二美展」が
開催されました。

 ビジターセンターに関係している方が、地元の忘れられた作家を顕彰するために、
あちこちに働きかけをして実現させたものでありましょう。そんなに大きな会場では
ありませんが、畔柳さんの著作や在りし日の写真のパネル、映画のスチールとご本人
が愛用した着物などが展示されていました。
 この展示は、ちょうど小沢信男さんの「通り過ぎた人々」が刊行されてまもなくの
ことでしたので、この展示のなかに、小沢さんと畔柳さんが一緒にうつっている写真
はないかと思ったのですが、これはありませんでした。
 畔柳さんの著作権などをいまはどなたが継承しているのかわかりませんが、一時期
は、小沢さんによって「私と同年の彼は、戦後二十年間を通して十五歳年上の女性の
誠実な同伴者だった。」と記されている中野武彦さんが、その役割を担っていたもの
と思われます。
 この時の展示資料も、元はといえば中野武彦さんが保存していたものによるので
しょう。( http://homepage2.nifty.com/akihiko-nakano/titres.html )
 中野武彦さんは、畔柳さんが亡くなってから二十年後になってやっと「畔柳さんを
看取り弔うまでの記」を記して発表したとあります。その中野さんも今はなしです。