山の子供 9

 当方は子供のころ風の又三郎でありましたので、発電所でもくらしましたが、
戦後の開拓地でもくらしたことがありました。開拓地では、その当時でも珍しいランプ
生活を数ヶ月間経験しました。戦後はあちこちに開拓地があり、そういったところは、
電力が配電されていないところが多かったのではないでしょうか。
 今の配電方式というのは、いつころからそうなったのかと思っておりましたら、
本日の朝日新聞夕刊の「昭和史 再訪」という欄には、「1951(昭和26)年5月9電力
体制発足」とありました。
「1951年、民営で、9電力分割、発送電一貫、地域独占の戦後の電力体制が発足した。
9電力は地域独占ながら技術革新・コスト削減を競い、安い電力を安定的に供給、高度
成長のエンジン役を果たした。」
当方が生まれて、まもなく9電力体制はできたのでありますが、全国津々浦々で電力供給
とはなっていなくて、あちこちでは電力会社によらず(というか電力会社に相手にされ
ず)で、電力供給をじまかないしていたのであります。
 市街地から遠く離れた開拓地に住む人々が、電力会社に依頼して電気を供給してもら
おうとしましたら、引き込みに要する費用の自己負担が必要でありました。その金額
たるや、貧しい開拓農家には担えるものではありませんでした。
 それで小さな自家発電装置を設置して、小さな地域に配電をして電灯をつけていた
のであります。当方が数年間暮らした開拓地には、落差1Mほどの水力発電装置があり
ました。これの全盛期には学校に設置されているテレビが見られたとのことですが、
当方が引っ越した頃には、渇水期であったせいもあり、この発電所からの電力では電灯
が懐中電灯かほたるの光くらいにしかならないのでありました。いくらなんでも、この
時代にということで、開拓地の人々は、一念発起して電力会社へと供給することになっ
たのであります。これは1961年のことでした。
 そういえば、この小さな発電所にも管理人さんがいたことを思いだしました。
 発電所つながりといえば、先月に読んでいた「新潮 6月号」に掲載の松家仁之さん
の「沈むフランシス」もそうでありました。当方が、この作品を面白く読んだのは、
舞台が北海道であることとあわせ、田舎の水力発電所が舞台になっていることでありま
した。