高知つながり 2

 大森望さんが高知出身で、お父上は高知新聞社に勤務していたと聞いて、大学同期
高知新聞社の記者になった知人のことを思いだしました。その知人のことは名前も
忘れかけていましたが、なんとか思いだしてその名で検索をしましたら、知人は十年
も前に亡くなっているのを知りました。その知人が当方のことを気にかけてくれて
いたら、いまでありましたら、ネットで検索をすることでしょうが、今から十年も
前となるとインターネットも普及していませんので、音信不通のままで、当方の消息
を知ることもできなかったでありましょう。最近のバラカンさんの本の一節ではあり
ませんが、「クラウドなしで、どうして暮らしていたのでありましょう。」です。
 高知つながりで上林暁さんですが、今となっては昔の話、この時期の高知話題は
プロ野球のキャンプ地となったことでした。最近は、ほとんどのチームが沖縄に
いっているのですが、かっては高知でキャンプをするチームがいくつかありました。
春野とか安芸という地名が頭にはいったのには、プロ野球のキャンプ地となったこと
によるものでしょう。
 土佐中村が幸徳秋水とつながっているように。それでいくと四万十川というと上林
暁さんです。
 当方が上林暁さんの小説をはじめて読んだ時のことを、これまで何度も記している
ようです。ここで書きますとああまたかとなりますので、お時間があるかたは、
以下のところをご覧くださいです。(http://d.hatena.ne.jp/vzf12576/20070411
 ちょうど、2月17日に大きなまちの本屋で「ツエッペリン飛行船と黙想」を購入
したのでありました。ちょうど、自分への誕生日プレゼントとしてぴったりのもの
でした。

ツェッペリン飛行船と黙想

ツェッペリン飛行船と黙想

これは上林暁全集にもれた文章を集めたものとなっていますが、その前に
全集をまるで読んでいないころを思い出しました。最近は、このブログで話題に
するときくらいしか、上林暁全集を手にすることがありません。これはいかんこと
です。
 今回は、土佐中村にちなんだ作品などを読んでみることにしましょうぞ。