高知つながり

 大森望さんは高知出身でありまして、「中学時分、歴史時代小説を集中して読んだ
んですが(柴田錬三郎とか山岡荘八とか)、土佐っ子の基本はやはり龍馬」とあります。
当方が育った北海道は、明治以降になってから移住してきた人々によって拓かれたと
いうこともあり、明治維新のときに、うちの先祖が活躍してなんて、自慢めいた話
など聞くこともありませんでした。
 土佐で育った人の皆がそうではないでしょうが、さすがに明治維新に功労のあった
藩であるだけに、明治維新で活躍した郷土の先人のことを、とても身近に感じている
ようでした。高知出身の息子の友人が遊びに来たときに、いってみたいところと話題
にのぼったのは、函館五稜郭土方歳三終焉の地といわれるところでありました。
土佐っ子の基本は、明治維新であるようです。
 先月に亡くなった安岡章太郎さんも高知の名家の出身でありました。いまほど検索を
しましたら、高知市帯屋町で生まれたとありますので、大森望さんの行きつけの本屋
と同じ町内ではないですか。
土佐出身の有名人というのをみていましたら、次から次とでてくるではありませんか。
本の雑誌」の大森望さんのインタビューをみていましたら、作家の宮尾登美子さんは
大森さんの母上の友人で、大森さんが子供の頃に子守をしてくれたとありました。
なるほど、ずいぶん狭いところにいろいろな人が住んでいることだ。
 龍馬から明治維新で活躍した人々が高知の表通りとすると、日のあたらない裏通り
を歩いているのは幸徳秋水でありましょう。しかし、裏通りのほうが、気になる人が
多いのかもしれません。
 高知といっても、土佐中村であります。いまは四万十市と名前がかわってしまって
いますが、これも土佐中村という名前に反逆という匂いがしているのを嫌ってのこと
かもしれません。
 土佐中村というと、脚本家の中島丈博さんでありますが、この方は生まれは京都で
あるとのことですが、映画「祭りの準備」は土佐中村が舞台でありました。
厳密にいうと生まれは違うのですが(なにせ、後年にお父上が村長かなにかであった
のですからね。)、土佐中村というと上林暁さんのことが頭に浮かんできます。