あれもこれも 6

 大橋鎮子さんのお父上が勤務していた会社は日本製麻(株)というところでしたの
で、この会社は現存していると記しましたが、現存の日本製麻(株)は昭和22年に
現在の名称を使うようになったとありますので、この会社は、大橋さんのお父上の
会社とは同名かもしれませんが、無関係となりますね。
 大橋さんは、お父上の赴任先である工場所在地に引っ越しされるのですが、その
場所は、小樽の近く小沢、岩見沢近くの萱野、そして虻田であります。
大正10年に北海道に渡って、大正15年までのことですが、これはすべて同じ会社の
工場であるわけですが、さて、その会社はなんという会社であったのでしょう。
 本日もそんなことを考えながら検索を続けます。
 まずは、会社名についてですが、これはやはり帝国繊維(株)でありました。
北海道にあった製麻工場は、どれも北海道製麻とか帝国繊維と記されていて、どこ
にも日本製麻とはなかったのですが、帝国繊維(株)の簡単な歴史を見てみました
ら、以下のようにありました。

明治 17年 近江麻糸紡織 設立(大津)
   20年 北海道製麻  設立(札幌)
   21年 下野麻紡織(のちに下野製麻)設立(鹿沼
   29年 日本繊糸(のちに大阪麻糸)設立
   36年 日本製麻 設立(近江麻糸、下野製麻、大阪製麻が合併)
   40年 帝国製麻 設立(7月26日)
       (日本製麻と北海道製麻合併)
大正  4年 日本橋北詰に赤煉瓦の本社社屋を新築

 製麻工業に関する帝国繊維(株)のコメントです。
「帝国繊維は、日本の麻産業の発展にパイオニア的役割を果たしてきました。
自然界で最も強靭な繊維で亜麻(リネン)を欧州より導入し、寒冷の地北海道に国策的
産業として亜麻繊維事業をスタートさせました。
日本のリネン産業の歴史は帝国繊維の歴史とも言えます。」
 
 なるほどなです。それでは、「小樽の近く小沢」とはどこでしょうか。
 北海道は広いですから、小樽近くといっても一時間くらいは離れている共和町という町
にありました。共和町出身の画家 西村計雄さんの美術館が共和町にはあって、ここの
スタッフが西村さんが描いた風景について場所を特定するための情報収集を行っていて、
それを見ますと、次のようにあります。
「*小澤10号(西村作品)の辺りでは。昔、あのあたりに亜麻工場があった。左の建物
は亜麻工場だったのでは。ポプラもあったが、今は伐られてしまった。by教育委員の
皆さん
 ⇒現地調査(日程未定)
 ⇒(07/05/02)現地調査実施 案内人:町内村田さん、丸山さん
*小澤10号の辺りへ行き、亜麻工場で使用していた「温湯」という亜麻をつけておく
プールのような場所の跡地を確認。その道の両側には、ポプラが植えられていたという。
しかし、ここからだと山が見えない!」
 大正10年ですから、今から90年ほど前の製麻工場はいつまで稼働していたかですが、
最近にいたるまで、その跡地は確認されたとありますので、この場所は特定できそうで
ありますね。