休みの日は小説を 6

 丸谷才一さんの「今は何時ですか?」という作品を話題にしています。この作中で
展開する小説の話です。本日になにげに手にした丸谷さんの文庫本の最初のページには
次のようにありました。
「小説論で厄介なのは筋の紹介ですね。適当にあれを入れないとわからなくなる。もち
ろん専門家向けならそんなことは気にしなくてすむけれど、しかし批評家や学者だって
誰でも筋をおぼえてゐるわけぢゃないし、それどころか、読んでない場合だってかなり
ある。」
 上に引いたのは「忘れられない小説のために」(「闊歩する漱石講談社文庫)の冒頭
であります。当方のは小説論でもなんでもない紹介でありますが、筋の紹介をどうしよう
かとは思いますね。筋の紹介は、短くまとめるのがとてもたいへんでありますので、結局
のところ、当方のブログはなにをいいたいのかわからんということになります。
まあ、ほとんど自己満足の世界でありますからね。
 ということで、作中の小説家「浜谷百合子」さんの作品の引用を続けます。
 主人公が弟が亡くなった北海道の支笏湖畔を訪れて、弟を偲ぶという場面です。
「『ホテル翠光閣の1000メートル手前、車寄せのところで止めてください。そこで何と
 か いふ山を見たいの』
 『フップシ山とタルマヘ山ですね』
 『さうです、その二つの山』 
 道路がすこし広くなってゐるところで、車の前方を湖のほうに向けさせる。運転手は、
 左手のタルマヘ山が活火山で、普段なら真中の瘤のつけねのところから煙を噴いてゐ
 る、と説明をはじめたが、何か事情があると察したのだらう、車から降りた。路代は
 時計を見た。十時半である。ほぼこの時刻に、こんな具合に駐車し、喬志は息を引き
 取ったのだ。
  向ひ合ふ山のうち、右手の山はやや高く、左手の山は低い。活火山のほうがすこし
 奥まってゐるかしら。どちらも日陰になってゐて、しかもぼうと煙り、右の山は緑に
 灰色をかぶせた色。左の山は、水いろに灰色をまぜた色で、二つとも木版画のいはゆ
 るツブシに似た効果。火山のほうは長く裾を引いてゐて、左へゆくにつれて仄明るく
 なる。
  湖面は緑がかった青で、揺れてゐて、ふうふつと煮えてゐるやう。さういふ景色と
 くらべると、こちら岸の、存分に日を受けた樹々の緑は、俗悪な感じで堪へられない
 くらゐである。喬志は苦しくなって車を止めたのだらうか、それとも景色を楽しんで
 ゐるとき、だしぬけに死が訪れたのだらうか。後のほうなら嬉しいけれど、と姉は
 思った。
  ずいぶん長いあひだ車内で弟を偲び、それから車がホテルの敷地にはいってゆく
 と、向うに遊覧船とモーターボートが並んでゐるのが見える。・・・・
  昼食はホテルのグリルで、屋外でジンギスカン料理を食べてゐる客たちを見て、
 雪子といっしょならきっとあれを選んだらうと思ひながら、しかし姫鱒定食にした。
 食後は一時間近く休んでから車に乗り、千歳空港へ。」
 作中の支笏湖のくだりから、長い引用であります。フップシ山とかタルマヘ山への
言及があるのが、この地に縁のある当方を大いに喜ばせたのはいうまでもなしであり
ます。

 二年ほど前に写した10月末の支笏湖の写真です。右手のやや高い山が風不死岳と
いう山(作中ではフップシ山)、左に瘤のようなのが写っているのが樽前山(タルマヘ
山)であります。撮影した場所は、翠光閣(今は、この時代とは経営会社がかわって
しまいましたが、翠明閣という名前で支笏湖畔にありです。)から山のほうによった
ところであります。
 ながながと丸谷作品の引用をしていたのも、ふるさと自慢がしたかったからかも
しれません。