重陽の節句

 本日の朝日新聞別刷りをみましたら、丸山裕美子さんのコラム「表裏の歴史学」が
「古代のカレンダー」というタイトルで書かれていました。
「9月9日は重陽節。中国では陽の数(奇数)の極である九が重なる節日として、さま
ざまな行事が催された。古代の日本でも、天武天皇の685年9月9日に宴会が催されたこ
とが知られるが、翌年9月9日に天皇が没したため、以後平安時代になるまで重陽の行事
は行われなかった。」
 そうか、カレンダーで9日を確認した時には、本日が重陽節句であるとは、思い浮か
びませんでしたが、このコラムを見て、今日は丸谷才一さんの「今は何時ですか?」を
読まなくてはと思いました。(昨年も9月9日はこの話題でありました。)
 丸谷才一さんの小説「今は何時ですか?」」は、当方の偏愛のものでありまして、
どうしてこの作品を偏愛するのかは、過去にも以下のところ数日にわたって記してこと
がありました。( http://d.hatena.ne.jp/vzf12576/20121103 )
 とにかく重陽節句といえば、この丸谷さんの小説でありまして、書き出しは次のご
とくです。
天正九年九月九日は九が三つ並ぶ。そのせいではなく、単に重陽節句を祝ってだら
うが、この日、獅子舞とややこ踊が大内に召された。前者は御霊鎮送、災厄退散をまじ
なふ二人立ちのものだらう。後者は幼女の踊。帝は紫宸殿で御酒を召上がりながらご覧
になり、むら井といふ者を経て踊子二人には扇子、獅子には太刀を賜はったと『御湯殿
の上の日記』にある。」
 こういう時には、元号というのはすぐに九ならびができそうで便利であります。
今年は平成29年でありますからして、三つならびますが、数年後には改元されるという
ことですから、これから十数年後には三つの九ならびとなるのですね。
 それはさて、今年もこの「今は何時ですか?」を読み返してみて、この作品はもっと
容易に読む事ができるようになればいいのにと思いましたです。
 この作品は主人公である女性小説家が書いた作品が入れ子となって、第二章を構成して
います。小説家が愛人であった失踪した男性を記念した作品を書くのでありますが、その
男性を作中では、本人ともっとも関係の薄い人物に仕立てることにするということで、
入れ子作品の主人公の弟とするのでありました。
 この入れ子作品の最後は、弟の生まれかわりの話となります。ほとんど最後のくだりを
引用です。
「あたしの生き死には一ぺんきりだけれど、この子は何回も何回もくりかへし生きなけれ
ばならないからそのぶんこんなにあたしたちと違ふ雰囲気になるのかしら、影が薄くって
エアリアル、これからさきもまだ人生を何べんも生きつづけなくちゃならないそしていつ
までもなんて不憫な気がするほんとうにかはいさうよ」
 最近に佐藤正午さんの「月の満ち欠け」を読んだせいもあって、生まれ変わりとか過去
の記憶を有する子どもというのに反応します。そういえば、丸谷さんの「樹影譚」もその
ような雰囲気があったことです。