建築家の本 5

 伊東豊雄さんについての本を、精神的には豊かであるが、金銭的には貧しかった
時代の物語として読んでいます。伊東さんが独立して8年たってから所員となった
女性の思い出です。
「当時、所員は伊東を含めて男4人に女は泉ひとり。秘書役も務め、『はい、
アーバンロボットでございます』などと電話をとっていた。給料は7万円。
ごく普通のOLをしていた二歳下の妹は14万円もらっていたから、その半分である。
事務所にはさしたる仕事もなく、伊東は雑誌にエッセイを書いたりしてアルバイト料
を稼いでいた。夏には事務所でそうめんをゆでて、みんなで食べていた。
本当に貧乏だった。泉は今も専務として伊東事務所の運営を担っているが、最近の
所員が1000円のランチを食べるのに隔世の感を禁じえない。」
 ほとんど起業したベンチャーの様相であります。
 78年の時に普通のOLで給料14万円というのは、東京であるからの数字でありま
しょう。小生はいなかで就職しましたが、74年の初任給が5万円から6万円くらいで
ありました。たしかにインフレが続いて、毎年二割くらい給料が増えた時期である
ように思いますが、それでも78年に14万円には届いていないはずです。
といって、78年における7万円というのは、安いですよね。
大学院にいって授業料を支払って学ぶかわりに、伊東スクールでみっちり仕込まれた
ほうが、将来のためと志願してきた人だけが、ここでの修業に耐えることができた
ようです。
「泉が覚えている当時の伊東は、とてもピリピリしていた。事務所もそのピリピリした
空気ではりつめていた。一日中誰も口をきかない日もあった。」
 起業してまもなくというのは、こういうものでありますか。