建築家の本 4

 アトリエ系設計事務所に飛び込むというのは、待遇が悪いのは覚悟とのことです。
安藤忠雄さんの事務所でもそうなのでしょうかね。コンペで負け続けるというのは
なかなか仕事にありつけないわけでありますからして、労多くして功少なしで、収入
が多いわけはないですね。それでもそうした事務所に入るというのは、勉強になると
いうことでしょうか。
 それにしても、伊東さんが独立したのは1971年の大変さであります。
大阪万博以降1970年代半ばまでといえば、三島由紀夫割腹自殺、マクドナルドの
一号店開店、あさま山荘事件日中国交正常化、・・などといったことが続いている。
妙に明るいできごとと暗い事件が交錯する不気味な時代だ。
 伊東に続く世代、たとえば80年代にキャリアをスタートさせた隈研吾や竹山聖らの
世代なら、バブル経済のおかげで独立したその日から仕事にありつけた。ところが
70年代に独立した建築家たちは、60年代の国家的事業の波には乗り遅れ、80年代の豊か
な経済はまだ来ないという、深い谷間にひょっこり出てしまったようなものだった。」
 このころは、ちょうど当方が就職をしたころと重なるようであります。とにかく、
いまでは考えることができないインフレの時代でありまして、一年に給料がどんと増え
てしまうのでありました。当方が仕事についたころは日本列島改造論による開発ブーム
が続いておりまして、それのおかげで当方は仕事にありつけたようなものです。
いまとなっては、列島改造論はなんであったのかでありますが、当方はそれで就職で
きたことに感謝しなくてはいけません。
「日本全国で開発が進んでいるが、建設の仕事はあっても建築はない。挙げ句に、石油
ショックで世の中は不景気。どうにもやるかたない気分に浸るしかなかった。
『仕事がないというのは、建築家にとっては堪え難いこと。その頃はコンペもなかっ
た』」
 会社という組織に所属するととりあえず給料をもらうことで、生活は安定するので
しょうが、自分のやりたいことをするために独立すると、仕事をとれなくては生活も
ままならないことになってしまいます。独立するのは簡単でありますが、仕事にあり
つくのは大変なことです。