創業40周年 17

 国書刊行会といえば、当方にとっては書店の手の届かない場所にささっていた「巨人」
をだしていた書店となります。77年くらいの16,000円というのは、とんでもない値段で
ありまして、いったいどのような方が購入したものでしょうか。その後、この本はもっと
買いやすい形になったのですが、いまにいたるまで縁がありません。ほとんど内容見本
だけのお付き合いで、内容見本だけでの知ったかぶりであります。
 それにしても、この内容見本から拡がる世界です。
 この内容見本に寄稿されているのは、訳者 古見日嘉さんの師匠にあたる相良守峯さん
から弟子となる鈴木武樹さんまでですが、栗田勇さんをのぞいては、ほとんどの方がなく
なっているようです。
 一時期 野球に関する評論家のようになっていた鈴木武樹さんは、本業では師匠の衣鉢
を嗣いで「ジャン・パウル文学全集」を個人全訳で企画して、中途で早世した方でありま
す。売れっ子であっという間に亡くなったと思いましたら、1978年3月に43歳でのこと
でした。
 鈴木武樹さんの文章からです。
古見さんのジャン・パウルの読み方は、じつに厳しい、徹底したものだった。注釈書は
みな手もとに置き、必要な辞書もほぼ揃えて、片言隻句たりともおろそかにしなかったの
だ。とくに、この詩人の魅力の中核をなすユーモアの解き方にかけては、つねに、啓発さ
れるところ大だった。わたしは、もし、古見さんのもとで教えを受けるということが
なかったならば、間違いなく、ジャン・パウルの読み方にかんして、十年は、時間を空費
したことだろう。いま、わたしが、創土社から曲がりなりにもジャン・パウルの翻訳を
進行させることができているのも、徹頭徹尾、古見さんの薫陶の賜ものである。それだか
ら、『ジャン・パウル文学全集(鈴木武樹個人全訳)』(既刊は三巻、予定では全二十六
巻!)の全巻を古見さんの霊に捧げることにしたのは、わたしにしてみれば、これ以上な
いくらいに当然かつ自然なことだった。」
 それにしても、これから1年ほどで亡くなるとは思ってもいなかったことでしょう。