従軍日記 5

 久生十蘭さんは、奏任官待遇であったとのことですが、戦前のお役人の仕組みに
疎い当方は初めて聞くことです。旧制中学を卒業してから役人になるとあまり条件の
良くない判任官となれるとあるのですが、旧制中学に進学できた人というのは、ごく
一部であったのですから、奏任官なんて雲の上の存在でありましたでしょう。
 久生十蘭さんは、軍人の階級でいいますと大尉格の報道班員として従軍することに
なったわけです。報道班員の業務については、「情報要員として、軍事上特に必要な
情報及啓発宣伝に関する業務」となっているのだそうですが、この業務の詳細は明ら
かでないとありますが、久生十蘭さんの日記本文をから推測するに情報というのは、
「海軍戦史編纂に関わる業務」であり、「啓発宣伝に関する業務」というのは、
従軍体験に基づく執筆活動であるとのことです。
 現実に十蘭さんは、帰還後約1年間にわたり、月に一篇以上のハイペースで従軍関連
作を発表していて、その作家名には、報道班員という肩書きが付されているとのこと
です。
 それにしても、報道班員として従軍した作家の日記が公開されるというのは、きわ
めて異例のことであるようです。もともと「従軍中に日記をつけることは原則的に禁じ
られていた。」のであり、「露見した場合には軍部への提出を求められ、終戦時にも
進駐軍の緊急命令で焼却を強く求められたという。こういう圧力をかいくぐって残存
したという点だけでもまず貴重」となります。
 戦時下における文化人の行動は、戦後において厳しく批判されることになりました。
この日記が、本人の手によって処分されずに残っただけでも、貴重なことです。