最近手にした本

 そういえば、最近本屋にいけていないことです。生活の一部に本屋めぐりという
のがあったのですが、最近は置き場所がない、読むことができないという二重苦で
ありまして、そのことが足を遠のかせているのかもしれません。
 仕事の気晴らしには、ブックオフへの棚の前にたつのが一番でありますが、単行本
を買うのはほとんど御法度状態です。とはいえ、105円で次のようなものがありました
ら、ダブっていても手がのびてしまいます。

本はどのように消えてゆくのか

本はどのように消えてゆくのか

本とコンピューター

本とコンピューター

 どちらも晶文社の倉庫から、そのままぞっきほん市場にでてきたのではないかと思わ
せる美本でありまして、この値段でありましたら自宅の物入れにしまい込まれている
ものを探し出すよりもずっとよろしです。
 この時代の津野海太郎さんの著作は、新刊が出たときにひととおり眼を通している
ように思うのですが、もちろんすっかり忘れているので、はじめて読むような気分で
あります。
「今年(1993年)のはじめ、六十八歳で亡くなった安部公房の遺稿や日記が、あとに
のこされた大量のフロッピーディスクのうちから発見された。このニュースに接し
て、多くの人々が奇妙な感慨を味わったのではないだろうか。・・・
 もちろん、ワープロの時代はもうとうにはじまっていたのだが、ワープロを日常的に
つないこなしている高名な作家が亡くなったのは、日本文学史上、これがはじめての
ことだった。」
 93年というと当方はワープロは持っておりまして、仕事にもつかっていましたです。
そのワープロは、いまも自宅にあるのですが、富士通のオアシスでありました。
3.5インチのフロッピースロットが二つあって、これにフロッピーをいれて文書の保存
をしたり、拡張機能を利用したりしました。最近はパソコンでもフロッピーは使わなく
なっていることです。
「作家の死後、のこされたフロッピーディスク(あるいはハードディスクや光ディスク
やその他の外部記憶装置)のうちから、書きかけの作品や日記や創作メモが、原稿用紙
に鉛筆や万年筆でくっきり記されたものとしではなく、そのままでは読むこともできな
い、あるとないとの境目すらぼやけた頼りないデジタル記号のあつまりとして発見され
る。」
 これが書かれてからわずか20年ですが、ずいぶん進化したと考えるのか、それとも
あまりかわっていないと感じるかです。あまりかわっていないと感じたとしたら、
それは津野さんの先の見通しが、よほど良かったということになります。