平凡社つながり 18

 蘆原英了さんといえば、サーカスよりもシャンソンでありますね。新宿書房から刊行
された「シャンソン手帖」の帯には、
「生涯シャンソンを愛した続けた<シャンソン博士>(三島由紀夫・評)
 アシハラ・エイリョウの巴里の小唄エッセー集」とあります。
先日に引用した「サーカス研究」巻末の山口昌男さんの文章には、次のようにありま
した。
「日本ばかり、パリにおいても不思議な会い方をした。パリは第六区のセーヌ通りの近く
にロシア語専門の書店がある。多分1976年の夏であったろうか、この書店の前を通って
いた私は、何気なく中を覗いてみた。すると驚いたことに、蘆原さんが比較的入口に近い
ところで本を手にとっている姿が見えた。蘆原さんも私もお互いに相手がパリに来ている
ことを知らなかったから全く偶然の邂逅であった。」
 山口昌男さんは76年には、何をしていたのだろうかと思って年譜を調べてみようと
思って一番の大冊である「山口昌男ラビリンス」をとりだしてきたのですが、これには
ないのでありました。あれっどこに詳細な年譜はあったろうか。川村伸秀さんは、すでに
作製しているのでしょうが、まだ発表されていないのかな。(こちらが、その存在に
気づいていないだけかもしれません。または忘れているか。)
 76年には何をしていたかと、ウィキペディアで検索をしても、これはまるでこちらの
疑問には答えてくれません。
 この時、蘆原さんはどうしてパリにいたかというと、それは山口さんが記しています。
「この頃ゴンチャンがフォリー・ベルジェールで歌っていた。蘆原さんは、この時もゴン
チャンの激励のためにパリに来ているようだった。当日の夜の券を二枚私の手に渡して
見に来てくれると慫慂した。パリ在住の友人田之倉稔氏と早速その夜フォリー・ベル
ジュールを訪れた私に蘆原さんは、舞台が終わると是非とも楽屋に来てゴンチャンを激励
してくれるように頼んだ。蘆原さんは、何より、長い間手塩にかけて育てた日本の
シャンソンの力を本場のパリで、それも超一流の舞台で見てもらえるのが嬉しくて仕様が
ないようであった。私は、『日本の学問はまだまだこの域にも達していません』などと
しおらしいことをゴンチャンの楽屋で言ったものである。」
 ここにあるゴンチャンとは、もちろん上月晃さんのことであります。この時代のスター
さんのほうがカリスマ性があったように思います。いまも宝塚のOGで素晴らしい方はい
るのですが、昔のほうが凄かったように感じるのは、当方が年をとったせいでしょうか。
 
 「シャンソンの手帖」には、日本の歌い手さんのシャンソンについて、記した文章は
収録されていないようであります。