今年も山猫忌 5

 絵本「ハハハのがくたい」に寄せた高橋悠治さんの文章の続きです。
「柳生弦一郎さんが長谷川四郎さんの愛読者とはしらなかった。おもいがけないとこ
ろに読者をもっていたのも、長谷川さんらしい。うれるような本をかく人ではなくて、
どこか本屋の片すみでたまたま見つけた本のページをひらくと、やあ、ひさしぶりだ
ね、とはなしかけてくるような本だったから、心のどこかでだいじにおもっていても、
ふだんはわすれているような、だから作家としては、そんをしていた。大胆なところ
とこまかいところがいっしょになっているのは、そういえば柳生さんも同じだ。」
 ここで、絵をかいている柳生さんのことがでてきます。当方が、柳生弦一郎さんの
ことを最初に知ったのは、五木寛之さんの小説のイラストを担当していたことによって
であります。いまほど検索をしてみましたら、平凡パンチに連載の「青年は荒野をめざ
す」であったようです。五木寛之さんが新進気鋭の作家であったころの話です。
 柳生さんは、高橋悠治さんの水牛楽団の関係者でありまして、これにイラストを提供
しています。(水牛楽団のアートディレクターは平野甲賀さん)
 また高橋さんの文章からの引用です。
「絵本の枠におしこめるために、あっちを切り、こっちを切りして、『ハハハのがく
たい』のことばをつくった。そこに柳生さんが絵だけでなく、ことばもかきたして、
それを何回もなおしているうちに、『アラフラの女王』とはだいぶちがったものに
なった。
 これでいいのだ。何人もの手がはいってかたちをかえながら伝えていくやりかたは、
長谷川さんも、長谷川さんのすきだったブレヒトも、自分の本のためにのぞんでいた
ことなのだから、これはぼくたちと長谷川さんの共同作業ともいえるものだ。」
 作曲家は、自分で演奏しないかぎり、演奏家の解釈したものによってしか、自分の
意図を伝えることはできないのですが、小説も同様で、読者の理解にゆだねるしか
ないのであります。その読み手が優れていて、しかも大胆な改作を試みるとしたら、
どうなるかであります。
 絵本ですから、絵を中心に文字は少なくですが、それにしても長谷川四郎さんが
単行本で40ページの小説を、こんなにもすくない文字にしてしまうとはです。

 この絵にそえられている、高橋さんの文章は、次のようになります。
「ハハハのがくたいの
   しごとはかんたん
   あかんぼうがうまれたら
   おんがく

 ななつのうみが 
     たちあがり  
 ななつのほしを
     かぶってる
 にじがのぼって
     なないろだ
   すいへいせんは
      ななほんあるぞ
   ねむれねむれ
      ななつごよ」