今年も山猫忌 4

 絵本「ハハハのがくたい」に寄せられた高橋悠治さんの文章を、昨日に続いて引用
です。
「長谷川さんという人は、『アラフラの女王』にでてくる、もと舟乗りのおじいさん
のように、でっかいだんぶくろのようなポケットから話をたくさんとりだしては、
ひとつの物語におしこむことができた。だから、物語は枠がはずれてしまって、あっち
へごろごろ、こっちへごろごろ、ゆられていく。そのリズムは何ともいえないきもちの
よいもので、それをかいた人をおもいださせた。ことばは、よくみると、そうやって
ぶつかりあうことを予想してえらばれ、みがかれていて、結局この、のんびりしたよう
で、こまかい心づかいがかくされているのが、長谷川四郎さんのスタイルだった。」
 長谷川四郎さんについて書かれたもので、作曲家によるものとしては林光さんが
全集の月報に寄せたものがあって、その文章は河出道の手帖「長谷川四郎」に収録され
ています。長谷川四郎さんと林光さんの接点は、ブレヒトの芝居でありますね。
 ここでちょっと林光さん(そういえば、林さんは今年の一月に亡くなりました。)の
文章を見てみましょう。
「四郎さんはブレヒチャンである。名著『中国服のブレヒト』の作者だもの、そうで
ないわけがない。ブレヒチャンあるいは自称ブレヒチャンは、この国に数多いが、
四郎さんほどの、自由奔放なるブレヒチャンは、そういない。
  他人の作をかっぱらえ
  アイディアをいただけ
  つくりかえろ
 とブレヒトは煽動した、とこの国のブレヒチャンは語り、だがブレヒト自身について
は、ブレヒト自身については、ブレヒトの教えの適用範囲外だろ言わんばかり。
 ところが四郎さんは、ブレヒトをかっぱらう。もちろん無断で。それへ自分のサイン
をするだけでなく、ときには他人のサインをする。・・
 この自由奔放さんは、不思議にも、ブレヒトの根っこを、まじめでずるく、深刻だが
ユーモアを忘れない、そんなところをいちばんみごとに押さえ込んで行く。」
 他人の作からアイディアをいただいてつくりかえるというのは、ブレヒト流でありま
すね。これに続いてです。
「 去年(75年)、西武劇場で、高橋悠治と私が企画したコンサートで上演された歌曲
のなかの、ふたつのブレヒト詩、『ハリウッド悲歌』と『老子亡命途上道徳経成立譚』
の日本語訳を四郎さんにお願いしたことから、当然四郎さんはコンサートに招待された
のだが、私はステージで司会をしながら、四郎さんの居心地悪そうな坐りようがよく
見えて困った。」
 そうか、高橋悠治さんと長谷川四郎さんはブレヒトつながりであったのか。
高橋悠治さんの文章には、「長谷川四郎さんとは、あるコンサートのときすれちがって、
こんにちは、といっただけだから、会ったことがあるとはいえない。」とありますが、
このコンサートとは、林光さんが書いている西武劇場でのものでありましょう。