今年も山猫忌

 今年も「山猫忌」です。ピーチな旅で留守にしてたせいもありまして、話題にする
のが遅れてしまいましたが、4月19日は作家、詩人で「ぼくの伯父さん」長谷川四郎
さんの命日で、この日のことを拙ブログでは「山猫忌」といっています。
 昨年からの一年に長谷川四郎さんの関係でなにか新しいことはなかったろうかと
思いながら、山猫忌にふさわしい話題を探していたのですが、先日には思いついた
ように思っていましたら、思いついたことを、いまはすっかり忘れてしまっています。
 とりあえず、ごそごそと古い「新日本文学」などをひっぱりだしてきました。
新日本文学」では、何回か長谷川四郎さんの特集をしているのですが、当方の手元
にあるもので一番古いのは1978年9月号です。河出書房からでている道の手帖「長谷川
四郎」の年譜の78年には、この年に「軽い麻痺に見舞われ、ペンを持って書くことが
できなくなる」とあります。
 この特集では、長谷川四郎さんは、編集長 石田郁夫さんのインタビューに答えて
いるのですが、これのタイトルは「ぼちぼちやるよ」となっています。
このなかで、「新日本文学会員」に対して檄を飛ばして、次のように発言しています。
「僕が言いたいのは、『新日本文学』は、現在出ている作品に対する痛烈な批判を
やるべきだね。はしからばんばんやらなくちゃだめだ。それが唯一の武器ですよ。
妙に萎縮しちゃだめよ。直木賞だろうが、芥川賞だろうが、そういうものを出した
そばからばんとやるんだよ。そういうところが何となく甘い。いわゆる文壇におべっ
かつかっている。というよりも本質的にそうなんだ。つまり、文学とはそういうもの
だと思っている。それはいかんと思うんだ。僕はそれに批判を持っているよ。そう
じゃないと、『新日本文学』の『新』の意味が泣くよ。文学というのは、新と旧のたた
かいだもの。そういうところはだらしないよ。・・・
 いまの新日本文学会のライターに非人間的なとこないね。人間的だものね。これは
非人間的なんじゃないかと思わせるぐらいでないと・・・。」
 これは69歳の時の発言ですが、まさに「山猫の遺言」的なものであります。