東京都と横浜の挟み撃ちにあって、川崎市というのは苦戦をしていますよね。
東京にしても横浜にしても、邪魔なものは隣の庭にぽいっと棄てているような
ところがありまして、それの受け皿になっていたというのが川崎の昔のイメージで
しょうか。川崎に本拠地をおいていたサッカーチームの一つが、東京に移転して
今は東京を冠にしていますが、そんなに川崎がいやかといいたい気分であります。
当方はお取引の会社の主力工場が川崎にあったせいもあり、ずいぶんと仕事で
川崎に通いました。川崎というと、プロ野球というよりも社会人野球の強豪チーム
が印象に残っているかもしれません。日本の高度成長を支えた京浜工業地帯であり
ます。
「椿ハウスの右手に川崎球場の一角が見える。シーズンが開幕すれば、風向きによっ
ては声援が届いてきそうだ。駅へは左に行く。すぐに第一京浜(国道十五号)を
渡った角の、銭湯の前の陽だまりに、ドヤ住いと思える男たちがたむろしている。
そうした男たちを、敏男はよく駅や街で見かけた。港や運河に近い土地につきものの
光景だ。いわばカラーではなく、白黒の町といったイメージを敏男は抱く。」
上に引用したのは、吉川良さん「セ・パ さよならプロ野球」の一節であります。
- 作者: 吉川良
- 出版社/メーカー: 同成社
- 発売日: 1983/01
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83年12月に単行本となりました。単行本になった時、すこしは話題になったと思い
ます。「新日本文学」84年5月号には、「マイナーたちへのラブ・ソング」と題さ
れた書評が、川本三郎さんによって寄稿されています。
上の引用にある敏男というのが、離婚して、会社を辞め、ほとんどヒモのような
生活を送っている主人公であります。貯金がすこしあるうちは仕事をしないと決め、
毎日、川崎駅まで歩いて行くのですが、それには目的があるのでした。
「『今日は、ない?』
洗いものをしている敏男に記代が言った。スポーツ新聞のことを言っているのだ。
小学校五年生である正人をおくりだすのも敏男の役目で、そのあと川崎球場まで
歩いて、スポーツ紙を持ち帰る。買いはしない。職場へ急ぐ連中が次から次に屑函
へ投げ捨てるので、よりどりみどりだ。普通紙は月決めで取っているから要らない。」
なんとも、これを読むだけでも、なさけない生活をしていることが伺えることです。
屑函から収集したスポーツ紙をアパートに持ち帰り、それからロッテに関する記事を
シーズン通してスクラップするというのが、主人公が自らに課した仕事になるのでし
た。