女性の編集者 3

 その昔に、文芸編集者というと圧倒的に男性社会であったのでしょう。文芸の主流
は小説でありますし、男性の小説家にはとんでもない女性観の人がいたようでありま
すので、女性の編集者というのは、本当にたいへんであったと思われます。
同性だからといって、女流作家が受け入れてくれるかというと、以前に紹介した幸田
文さんのように「女性の編集者がきても小説は書けない」という方がいたのでありま
すね。男性作家は男性作家で問題があり、女性は女性なりの難しさがあるのでした。
「私は坂本一亀から正宗白鳥堀口大学などの老大家や円地文子平林たい子などの
年配の女流作家のところへ行くように指令されていたので、年齢が近い倉橋由美子
とは、友人のようによくおしゃべりをしたものであった。」
 正宗白鳥さんとのことについて田邊園子さんは、「女の夢 男の夢」でとりあげて
います。
「明治、大正、昭和にわたって、小説に戯曲に評論にと、独自な文筆活動を続けた知性
派の巨匠、正宗白鳥にはじめて会ったのは、氏が亡くなる一年前、1961年の秋のことで
ある。そのとき氏は、すでに八十二歳、私は前年大学をでたばかりの新米編集者だった。
おそらく私は、この老大家と接触を持った最後の編集者であるだろう。」
 大学出たての新米編集者が担当するのに、正宗白鳥はうってつけだったのでしょう。
もらった原稿は「白鳥百話」という三ページの連載随想であったとのことです。
白鳥の死後は、「白鳥特集号を組むことになった。つね夫人が夫の枕許でつけていた
ノートを発表させていただくことになり、私はその原稿整理のため、正宗家に通った。
夫人を手伝って、遺品や書簡類などを整理し」とありますので、夫人の信頼も篤かった
のでしょう。こういうのは、理想的であります。
「白鳥亡きあと、子供のいない正宗夫人は、孫のように齢へだてた私に対して、友人に
誘いかけるような電話をたびたびくださった。最愛の人を失った夫人は寂しかったのに
違いない。しかし私は、すぐ次の仕事に追われていた。夫人とのお付きあいは、私に
とって仕事が目的だったが、夫人にとって私は、孤独を癒す相手であってほしかったの
だ。
 自分が年齢を重ねたいま、私は仕事一途に突っ走ることよりも、正宗氏が心残りにして
いられた、やさしい夫人の哀しみをやわらげるお相手になれたならば、その方がずっと
よかったのに、という思いに責められている。」 
 その時の上司は、仕事の鬼といわれる坂本一亀さんであります。とうてい、仕事以外
のことを考えることは許されなかったことでありましょう。