今年の終わりに 3

 昨日に引き続き山口瞳さんの「追悼 上下」( 中野朗編 論創社刊)を話題
とします。当方は山口瞳さんの作品世界には暗いのでありますが、人物評を集めて
再構成した「追悼」は、当方の関心領域である編集者に関わるところをつまんで読む
に、大変便利です。
 たとえば、昨日にとりあげた文芸春秋新社の編集者と、このエッセイが連載された
週刊新潮」の編集者の間でとんでいる火花のようなものを、これで見て取ることは
できないでしょうか。
 昨日に取り上げた「樫原雅春」さんは、文芸春秋新社の編集者で「オール読物」
編集長のあと最後は常務で終わった方ですが、この方についての文章の題は、
「激昂仮面」というものです。
 考えてみたら、「激昂仮面」ということばを聞いて、なにかイメージがわくのは
50代も半ばに近いかたでありましょう。
「激昂仮面」というのは、樫原さんのあだ名だそうですが、これは当方が小学生で
あったころの人気テレビ番組のヒーロー「月光仮面」にかけてありますね。
(このテレビ番組の主題歌は、後年になってモップスというグループがうたって
リバイバルしたのですが、それすら古い話となりました。)
「彼は自分の渾名が気にいっていたらしい。月光仮面ノオジサンハ、正義ノ味方ヨ、
善イ人ヨという歌があった。彼は正義派であり、徹底した論理の人でもあった。筋を
通す人だった。その論理と筋とは、しばしば独善的であったけれど。」
 年齢は3歳ほど上で、旧制中学校時代に家庭教師で、圧倒的に影響を受けた方が、
後年に優秀な編集者となって、文章を発表するようになった山口さんの前に登場しま
す。
さて、その時に山口さんは、どうふるまったかです。
「私が物を書くようになってから、彼との関係が険悪となってしまった。激昂仮面だ
から、とうぜん敵も多いのである。私は、彼が敵だと思っている人たちと親しくなって
いた。そっちのほうがウマがあう。実際、どうして嫌われるのかわけが、わからない
が、これは志の違いなのだろう。・・・
 また、彼は、筆が荒れるから雑文を書くのはやめろと忠告してくれたこともあった。
 私にも愛憎相半ばする思いがあるが、受けた恩義だけが、くっきりと浮かびあがって
くるように思えた。」
 正義派で、独善的というのは、あるいみ子どもっぽいということでありますね。
そうした論理で、サラリーマン作家である山口さんに作家道を説くのでありますが、
これには反発するのでありました。思わず「週刊新潮」の連載「男性自身」を止めよと
いうことですかと言葉を返すような状況を見えてきます。
 結局のところ、小説とあわせて男性自身」は山口さんの代表作といわれるようになる
のですから、樫原さんのアドバイスは的外れであったのかもしれません。
樫原さんがライバル社である新潮社に「男性自身」をとられていることを残念に思って、
「筆があれる」とアドバイスしたら、相当に高等な戦術ですが、樫原さんは論理と筋を
通すかたでありますから、そのような下心があってのことではないでしょう。