角館という町 7

 たしか亡父の書架には岩波文庫版「平福百穂歌集」があったものと思って、本日に
探してみたのですが、これは見いだすことはできませんでした。
 ここ数日参考にしている「アララギ 平福百穂追悼号」昭和9年刊には、岩波茂雄
追悼文を寄せているのですが、ここでは「アララギに対しては親類の様な気持ちで居る
から何時となく画伯とも心易くなったと思われる」と記しています。かっての岩波文庫
には「アララギ」派歌人の作品集が、ずいぶんと入っていました。いまはそのほとんど
が姿を消しているでしょう。
 この「アララギ 平福百穂追悼号」には、息子さんによる「年譜草案」というのが
あるのですが、(その時の息子さんは東京帝国大学医学部学生でありました)この
年譜ではさらっと一行しか「日本洋画の曙光」の刊行については言及されていません。
そもそもこの「追悼号」の昨日に掲げた赤いページ以外には、平福百穂画伯の「秋田
蘭画」とかの研究を話題にしているところは、ほとんどないようであります。
 ほとんど唯一のものが、文庫解説の今橋理子さんによっても重要なものとしてとり
あげられています。それが、国府犀東さんの「百穂画伯の苦煉時代観」という文章に
なります。
 今橋さんの解説の、このあたりのくだりは、ミステリーを読むような味わいであり
ます。息子さんの「年譜草案」には、なぜ「日本洋画の曙光」が大きく取り上げられて
いないのであるかという謎であります。限定300部のもので、これは目につきにくいもの
であったからということではないでしょう。
 これを説明するのに今橋さんは、「知の共同体」という言葉で説明をしています。