阪田寛夫全詩集を編む 4

 阪田寛夫さんが生きているうちに全詩集が刊行されていれば、基本的なところは
今と同じようなものなのかもしれませんでしょうが、編集者伊藤英治さんの作業は
違ったものになっていたのかもしれません。
 この全詩集の内藤啓子さんのあとがきから、「父の死後、伊藤さんに無人の家の鍵を
渡しました。埃だらけで地層のように重なった資料を、一つ一つ丹念に調べ、たくさん
の詩を発掘、光をあてていただきました。」というくだりを紹介しましたが、これの
具体的な作業について、伊藤英治さんが記しています。
「部屋を拝見すると、『全詩集』とメモした青い大きな資料整理のためのファイルが
七冊ありました。そこには新聞、雑誌の切り抜き、自筆や誰かに頼んだと思われる浄書
原稿や音楽会のパンフレットや舞台のチラシなど詩作品に関するものが収められていま
した。調査を進めると阪田さんがそれら作品の出典まで調べて、ぼくに渡そうとして
いた事実がわかりました。・・・
 部屋中の所々に切り抜きや雑誌が置かれていたり、詩集や小説の訂正原本が多数みつ
かりました。これが厄介で同じ本の原本(?)が何冊もあって、その上、それらを
読み比べてみると同一作品の同一個所に違う訂正があったりもします。・・これらに
ついては編者伊藤の責任において定本化して『全詩集』に収録することにしました。
この作業が三年半ほど続きました。」