阪田寛夫全詩集を編む 3

阪田寛夫全詩集」の解説で、編集者の伊藤英治さんは「全詩集の構成と編集について」
記しています。これを見ますと、全詩集は順調であれば2000年くらいには完成していた
のかと思われます。それで終わっていれば阪田さんの長女 内藤啓子さんが書かれた
ように16年もの時間を要することもなく、伊藤英治さんも亡くならずにすんだのかも
しれません。
 前にも引用をしましたが、阪田寛夫全詩集が計画されたのは1994年のことになりま
す。初期の編集作業について、伊藤さんが解説のなかで記していることを見てみること
にします。
「この企画は阪田さんにもとても喜んでいただき作品の発掘・収集を始めました。
阪田さんからは私家版詩集や、ぼくたちが日頃あまり手に取ることのない合唱曲集、
合唱組曲、オペラやミュージカル台本などが届きました。それに、ぼくたちが集めた
雑誌や新聞などで発表した作品を加えて一度印刷所に入稿したのが1999年頃のことで
す。その後も新資料を入手するたびにゲラをだしましたが、その数1100作ぐらいだった
かと思います。」
 このゲラは、著者校正の作業となるのですが「戻ってきたゲラは大幅改稿のものも
数多く、さらには百作余りがボツ(収録不可)となっており」とあります。
「収録不可」としたのは、阪田寛夫さんでありますが、それは次のような原因別に分類
されるのだそうです。
 1 依頼主の求めに応じた作ったいわゆるまじめな作品
 2 歌わなければわからない作品
 3 外国の曲に詩をはめ込んだ作品
 こうしてボツとなった作品に対して伊藤さんのコメントは、次のようになります。
 1は阪田さんにとっては今では不本意なものだろう
 2は確かにそうで個々の作品については阪田さんの判断、見解に委ねました
 3はめこみがうまくいった作品については、全詩集に収録していますが、うまく
 いかなかった事例も多く、阪田さんはボツ作品としています。 
とりあえず、ここまでが「全詩集」の編集第一期だそうです。