中村とうようさん追悼

 今年に亡くなった人で、当方が影響を受けた人は多くいるように思うのですが、その
一番手といえば、中村とうようさんでありましょう。
 今から50年近くも前に中学生であった当方は、主としてUSAの流行歌を聴いておりました。
情報源はラジオでありまして、住んでいる地域のラジオよりも、文化放送とかラジオ
関東、それに極東放送(FEN)でありました。東京からの放送は、夜しか聞こえないの
でありましたが、極東放送は近くに米軍基地があったせいもあり、良く入りました。
 たしか文化放送ではUSAのヒットチャートを紹介する番組をやっていまして、毎週こ
れを聞いてノートに、トップテンの曲名を記しておりました。ちょうど時代はビートルズ
がでてきたころのことです。いまでもこの時のノートが残っておりまして、これを見ます
と曲名がよく聞き取れずに記していたことがよくわかります。
 最近は、ヒットチャートを記録した本が売られていますし、検索をかけたらいつヒット
したかは、すぐにわかるようになっていますが、この当時は、このようにアナログ手法で
記録するしかありませんでした。この記録は、64年12月12日からスタートして、66年
4月30日までビルボードとキャッシュボックスの両方をつけていたのでありますが、
最初のチャートには、ビルボードの一位が「ミスターロンリー」、キャッシュボックスは
「リンゴー」とあります。(キャッシュボックスは、今は廃刊となっていますね。)
 当方は、今でもこの時代の歌が大好きでありまして、ゆくゆくは音楽ライターで生きて
はいけぬかと夢を見たものであります。DJでは高崎一郎さん、福田一郎さんという方々
が活躍していたのでした。音楽雑誌というと「ミュージックライフ」というのがありまし
たが、これは、どうもファン雑誌のように思えて、手にとる気がせずでした。
 この時代の音楽といえば、イギリス発のビートルズローリング・ストーンズ
ハーマンズハーミッツなどがヒットチャートを席巻し、それにモータウンのものがからん
でいました。
 そうしたときにヒットチャートにのぼってきたのが、ラムゼイ・ルイストリオとか
ボブ・ディランの「 Like a Rolling Stone」でありました。
 たしか当方が聞いておりましたチャート番組のDJは、ジャズ評論家のいソノてルヲ
さんでありました。(いま「いソノてルヲ」で検索をかけましたら、息子さんとなる国会
議員にヒットしました。あらま! )そのせいもあって、ラムゼイ・ルイストリオの曲は
大推薦でそれが、その後にジャズを聞くことにつながっていったように思います。
 そしてボブ・ディランです。この曲を聞く前にボブ・ディランの存在は知っていたよう
に思うのですが、これははっきりとしません。なんといってもフォークソングというの
は、ブラザース・フォアとジョーン・バエズくらいしか知られていませんでしたからね。
 このような時代に、新しいフォーク・ソングについて発言していたのが、中村とうよう
さんでした。そして、、当方にとってのバイブルは「音楽の友社」からでていた
「POPS」1966年1月号付録である「フォーク・ソングをあなたに」でありました。