中村とうようさん追悼 9

「フォーク・ソングをあなたに」に収録の中村とうようさんの「フォーク・ロックへの
道」を話題としています。
 昨日には、スイングアウト誌の65年ニューポート・フォーク・フェスティバルの
レポートを引用しましたが、ボブ・ディランエレキギターを手にして、聴衆から
ブーイングを受けて、歌えなくなるのでありますが、それに関してとうようさんの
コメントであります。
「 アメリカの群衆は、画一的な機械文明によって去勢され、周囲の意見に同化されて
しまうようになっている。ピート・シーガー自身は、そうした群衆たちに邪魔されながら
も、平和と人類愛を歌うフォーク・ソングを長い間おしすすめてきた。ようやくその努力
が実って、みんなが反戦平和の歌を歌うようになった。そうすると今度は、無批判的な
シーガー崇拝者がゾロゾロと現れてくる。シーガーは進歩的だが、シーガーファンたちは
極めて保守的なのだ。そういう連中は、ボブ・ディランがシーガーと同じような反戦平和
の歌を歌っている間は盛んな拍手を送った。しかし、彼らが”ニュー・ディラン”を理解
しようとしなかったのは当然のことだ。ボブ・ディランは、もともとピート・シーガー
ような単純な正義感ではない(こういうとシーガーには悪いが)。」
 非米活動委員会での喚問にも、非協力の立場を貫いたピート・シーガーは、骨のある
左翼でありますが、シーガーの崇拝者は、同じ道を歩むことをボブ・ディランに求めた
のですね。
「 ディランはバエズ、シーガー、ベラフォンテたちのようにデモンストレーションに
参加したことはない。彼は本質的に、芸術家なのである。だから孤高なのである。
他人に影響されることも、影響を及ぼすことも好まない。彼の作った『風に吹かれて』
『時代は変る』『戦争の親玉』などの作品が、反戦運動や人種差別運動に利用され、
ディランが若い世代の代弁者のように見られたり、十字軍の勇敢な騎士かなにかのように
扱われるのは、彼にとってはたまらないことだったに違いない。」
 このくだりを、今読み返してみますと、「孤高で、他人に影響されることも、影響を
及ぼすことも好まない。」というところは、とうようさんの印象にかぶってくることで
あります。とうようさんは、ディランよりも年長ですが、ディランのなかに、自分と
重なるところを見いだしたようです。
 ディランの「本当の美とは醜いものなのさ」というのをとらえて、とうようさんは、
次のように展開します。
「このようなコンプレックスした美意識は、フォーク・ソングよりもむしろリズム&
ブルースに近いものであり、早くからビートルズ、アニマルズ、ローリング・ストーン
ズの良き理解者だったディランがエレキ・サウンドに近づいて行くのはごく自然のなり
行きだったのだ。」
 先日に、北中正和さんがディランについて、フォークよりもR&Bに近いなんて指摘
できた人はいなかったと記していることを引用しましたが、それはここにもありまし
たです。
 この「フォークロックへの道」の結語は、次のようになります。
「 今のアメリカで純粋な芸術家であるならば健全で常識的な美の基準に安心してすが
りついてなどいられないことは周知の事実ではなかろうか。・・エレキを使い、ロック
ビートにのったニュー・ディランを、変身とか堕落といった言葉で呼ぶのではなく
やはり”発展”と見てやりたいのだ。そこから明日の新しいアメリカ音楽が現れてくる
ことだって期待できるではないか。」
 これが発表されたのは、66年1月刊のいまはなき「ポップス」誌上です。見事なもので
ありますね。この数ヶ月前に、ボブディランについて書いて発表したものは、冷や汗も
のなので単行本にも収録しないとありますが、この文章は、とうようさんの「フォーク
からロックへ」という単行本に収録されています。