小沢信男著作 176

 小沢さんの文章に「カナカナが天地を聾して鳴きしきる」というのがあって、これを
見ましたら、「かたかなおぼえた谷中のかなかな」という「ことばあそびうた」の一節が
思い浮かびました。小沢さんは谷中に住み、佐山さんは根岸にお住まいだそうです。
 佐山哲郎さんの俳句の、もうひとつの特徴に「本歌取り」があると小沢さんが指摘して
います。
「 逝く春を交尾の人と惜しみける
 『行く春を近江の人と惜しみける 芭蕉』この超有名な句を、上の交尾の人は戴いて
いて。本歌取り。日本文芸に古来の技法だ。地口、といえば江戸戯作者風で、パロディと
いえば近代文学風で。これもこの句集の、もう一つの特徴ですね。古今の文芸や慣用語
を、手当たり次第のようにもじってゆく。
 これを剽窃とみるむきもありましょう。近江と交尾では驚天動地の違いにせよ、たった
二文字。あとはそっくりそのままだもの。」
 これを剽窃とするのか、それとも本歌取りというのか、この違いは大きいですね。
俳句は17文字なのですから、同じような物があっても不思議でもなんともないでしょう
か。音楽などでも、似たようなメロディの曲があって、盗作なんてことが話題になったり
しますが、盗作とかなんとかの騒動になるのは、すべて著作権がからむからでありますね。
「先人の句への敬意をこめた挨拶であり、批評でもあり、つまり十七文字が、ひびきあう
三十四文字にもなるのでした。・・
 表現とは、そもそも天下にひらかれたものでしょう。秀逸であればなおさら万人に愛さ
れて、共有の財産となる。本歌取りの、これぞ古来の美風に対して。剽窃とは、表現を、
作家様の私有とみるところからはじまる。つまり私有権の侵害という、ごく近代的な問題
だ。それはそれとしておいて。そのしちめんどうでせちがらい近代なるものを、ひょいと
またぎ超えたらば、いかがなものか。 というふううな積極的な魂胆が、この作者には
あるのではあるまいか。いきおい作風が、ややそうぞうしくなるのはやむをえません。
諸悪の根源であるかもしれぬ私有制度。その固定観念へわずか十七文字をふりかざしての
殴り込みだもの。」
 小沢さんには「東京百景」のなかに「行く春を青梅の人と」という文章が収録されて
います。
 これは、名古屋の亀山巌さんの私誌「芸文逍遥」別冊3(88年9月刊)に寄稿された
ものの採録です。
「 行く春を青梅の人とをしみけり
 名古屋豆本第107集・御沓幸正『ヒッチ俳句』をいただいて、ぱらぱらめくるうちに
この句にゆきあたり、思わず笑った。先人の句にちょいと便乗してだからヒッチハイク
か。なるほどなぁ。」