小沢信男著作 150

 昨日に引用した坪内祐三さんの文章には、「本当の両国について私に教えてくれたの
は、昭和二年に新橋で生まれた小沢信男さん」とあります。坪内さんの「東京人」編集者
時代に小沢信男さんと交流があって、その頃に、そうしたやりとりがあったのでしょう
か。
小沢さんの「本所・あの道・この道」に戻ります。
「吉原の灯がさびれたときも深川はけっこう賑やかだったという。川ひとつへだてると、
どうやら取締まりもゆるんだ。
 その差異は、両国でいよいよ明らかだ。いまはなんの面影もないが、両国橋の橋詰めの
広場は、当時江戸一番の盛り場だった。なにしろ交通の要衝で、その雑踏をめがけて掛
小屋がならび、ますます大雑踏となる。しかし西岸の両国広小路はとかく取締まりがうる
さいので、いかがわしい見世物の類はみんな東岸の向う両国で開帳した。昨今の新宿歌舞
伎町的な風俗営業のメッカである。その賑わいは『凄まじいもの』だったと、半七親分、
ではない岡本綺堂が言っている。
 おなじ江戸とはいえ、川向うはやはり別天地だったのだ。なにしろ碁盤目の北海道だも
の。」
「両国」というのは隅田川にかかる橋の名前によるとのことですが、「こちらは武蔵の
国、あちらは下総の国だから」とも、この前にはありました。
 もともと、大川の東側は、江戸ではなかったのですね。