小沢信男著作 138

 昨日に「月刊総合誌 公評」は、すでに廃刊になったようだと記しましたが、
「月刊総合誌 公評」は、現在も健在で活動が続いていると指摘をいただきました。
昨日の当該部分を訂正いたしました。
 そこで「東京の池」ですが、当方には池といって思い当たるものは、超有名なもの
しかありません。
 それで、小沢さんの文学の師匠につながる池についてのご紹介です。
昨日の雑誌に、小沢さんの文章「詩碑をたずねて 丸山薫と岩根沢」が掲載されている
と記しましたが、小沢さんの詩の師匠「丸山薫」さんとの池の思い出になります。
 小沢さんの初期の作品「新東京感傷散歩」(52年 江古田文学初出)には、「鶴」と
いう章があります。
「日比谷交差点の入口から公園に入ると、左に池があり、池のふちに石崖の高い土手が
あり、土手に登れば小径があり、小径にそうて、幾つかの木のベンチがあり、どのベンチ
にもアヴェックがいて、そのアヴェックの群の中に、私と少女もいるのであった。
・・・・
 池の中央に、飛びたたんとする姿の鶴の姿が、水の糸を噴きあげ、私はわが敬慕する
詩人のうたった詩などをふと思い浮かべるのだ。」
 作品の紹介ではなく、池についての紹介でありますので、引用が半端なのは許され
たいです。
 「サンパン」連載の「一代記」によりますと小沢さんが旧制中学のときに、丸山薫
さんの「物象詩集」を購入したとあります。「一代記」から、その部分を引用です。
「都市のちょっとした表情のとらえかたにゾクゾクとしました。『噴水』と題して
『鶴は飛ぼうとした瞬間、こみ上げてくる水の珠に喉をつらぬかれてしまった。
以来仰向いたまま、なんのためにこうなったのだ?と考えている。』とかね。これは
日比谷公園の雲形池のブロンズの鶴だとすぐわかって、こどものときから見慣れた
噴水が、詩になるんだ!わぁスゴい、こんなふうに書きたいなぁと思いました。」
 小沢さんは、こどものころを銀座で暮らしていたのですが、日比谷公園は、こども
でも歩いて行くことが可能な距離ですから、見慣れたというのも納得できることです。