小沢信男著作 97

 小沢信男さんの「書生と車夫の東京」(作品社刊)に収録の文章を話題にしており
ますが、目次(初出一覧)をあらためて見ていただきますが、魅力的な文章が満載で
あるように思います。( http://d.hatena.ne.jp/vzf12576/20110605 )
 当方が小沢さんらしいなと思う文章を話題にしたわけですが、これは人によって
取り上げが異なることでしょう。
 昨日まで話題にしていた「書生と車夫の東京」の次におかれているのは、「鉄道と
文学・その熱い関係」は、これを題材として一冊にしてもらいたいと思うほどのもの
です。掲載誌は「現代の眼」(82年10月号)でありますが、そのせいもあって、客の
視点だけではなく、列車を運行する人への目配りもきいています。(まあ、もともと
小沢さんは、車夫という仕事への思い入れがあるのですが。)
 昨日の小関智弘さんについての「車夫の後裔から小説家」というに、つながるくだり
もあるのでした。
「戦前戦中にも、職場の書き手がいないではなかったが、戦後国鉄私鉄の労働現場から、
新しい書き手たちが続々と登場する。『千人の生活を搬ぶもの』を動かす者の生活を、
その機微までを、そこでわれわれは身近に読みとることが可能になった。
 たとえば『機関士ナポレオンの退職』の清水寥人。『鉄路の響き』の足柄定之。
『機関士の春秋』の藤森司郎。『信じ服従し働く』の向坂唯雄。『武器のない砦』の
篠原貞治。『自主参加』の皆木育夫。『競合脱線』の はら・てつし。『浜口国雄詩集』
の浜口国男。『眼について』の森上多郎。・・等々、枚挙にいとまないのだ。
 彼らの創作活動は、労働組合運動の戦後の再生と拡大のなかから生まれた。表現する
力を労働者大衆のものとして獲得すること。サークルをつくり、機関誌を出し、そして
三十年の足跡をきざんでいる。 
 国鉄のみに限らぬ。ひろく労働者文学、農民文学をふくめて見渡したところに、現代
日本文学の豊かさがあるだろう。主題喪失的な文壇空洞状況に性急に失望するにはあた
らぬのだと考える。」
 鉄道に軸足をおいた書き手たちでさえ、これだけもいたのですが、労働組合の運動が
低迷するにしたがって、このような文化活動も沈滞化して、新しい書き手が登場しなく
なったように思います。労働組合運動への圧力は、文化にも影響がありということで
しょう。

 文学学校や職場の文学サークルが担った役割は、カルチュアセンターの小説講座など
が担うことになるのですが、それとこれはやっぱり雰囲気が違いますね。