小沢信男著作 96

 小沢信男さんの「書生と車夫の東京」から、目にとまったところをメモしているの
ですが、書生ではなく、車夫の階層から文章を発表する人への期待に話はつながって
いきます。
 そうした階層の人が住むのは、高台ではなく低地であるか、次のようなところである
ようです。
「横丁や路地や袋小路はもっと尊重しなければいけない。丹精した植木鉢のならぶ路地、
年中奉公者天国の細路は、町の廊下であり、中庭であり、時にラビランスでもある。
赤提灯のゆれる横丁は、じつに談論風発の、この国の"広場”でさえあるのかもしれない
のだ。」
 横丁や路地や袋小路というのは、小沢さんが好んで居を構えているところです。
以前住んでいた東池袋もごちゃごちゃとしてわかりにくいところでしたし、現在のお住
まいも谷中の墓地のなか、車も入ることのできないような路地にあります。
 小沢さんは、自分のことをどちらかというと車夫階層からでてきたように記したり
していますが、このへんはすこし微妙でありますね。
「昭和ヒトケタの、それも大正寄りの人間」で車夫階層から、旧制中学へと進学したり
するのは、「ああ玉杯に花うけて」のように例外的な存在でありますからして。
 小沢さんが期待する「堅気の労働者で、小説書き」として紹介されるのは、小関智弘
さんでありました。
「 大森で、祖父は養鶏養豚業を営み、父は江戸前の魚屋として羽振りをきかし、しかし
戦時統制でその家業もいけなくなり、『これからは工場の時代だから』息子の智弘は
工業学校をでて旋盤工になる。キャリア三十年のベテラン職人なのである。そして同時に
小説家なのである。」
 「車夫と書生の東京」の結びは、小関智弘さんの著作「大森界隈職人往来」であり
ます。
「ちなみに、小関智弘の母方の祖父は、大森駅前の人力車夫であったという。おお、
車夫の後裔の小説家が、ついに現れた。
 『当世書生気質』の後裔たちばかりにのさばらせておく手はないのである。百人千人
小関智弘が現れよ。そのとき東京は、はじめて十全に、みずからの姿を語りだすで
あろう。」