小沢信男著作 98

 昨日に話題とした「鉄道と文学・その熱い関係」には、鉄道労働現場から生まれた
文学者と作品が列挙されるのですが、なかでも一番有名な作品は「機関士ナポレオンの
退職」でありましょう。この作品は、森繁久弥が主演して映画化されています。
1965年といいますから、森繁は、まだ喜劇などにでていた時代でして、映画のタイトル
も「喜劇 各駅停車」となっていまs。
 書き手で有名なのは、藤森司郎さんでしょうか。
 この方については、2005年から連載のみすず「通り過ぎた人々」でとりあげられて
います。(そのほかのところでも、書いているのかもしれませんが、すぐに確認でき
るのは、この「通り過ぎた人々」のみです。)
「通り過ぎた人々」の「藤森司郎」さんから、すこし引用です。
藤森司郎国鉄機関士であり、そして小説を書いた。自分が書くだけでなく、朋輩を
そそのかして小説を書く機関士何人もつくった。詩、短歌、俳句などをつくる機関士たち
は全国的にいて、1955(昭和30)年に機関車文学会が発足する。やがてその事務局長に
彼がなった。
 藤森司郎は1925(大正14)年長野県諏訪市に生まれ、満十五歳で鉄道省上諏訪機関区
に就職した。教習所にまなび、1945年7月、敗戦の直前に機関士となる。以来甲信越
山線を走破して十余年。1961年に東京田端機関区へ転勤し、転換教育をうけて電気機関
車兼務となった。蒸気でも電機でも、平地も山坂もころがせるベテランだ。」 
 藤森さんは、仕事が良くできて、しかも組織者としても優秀であったようです。
 1972年ころに「新日本文学」誌上で、藤森司郎小野二郎との論争があったのだそう
です。
「おりしも国鉄当局が生産性向上運動の名の『合理化』を仕掛けていて、じつは十六万人
首切りの非合理だから組合は猛反撃する。組織破壊の合理化推進集団との闘争、と藤森
司郎は報告した。動力車労組の活発な活動家でもあった。」