本日は「みすず」から

 本日は新潮「波」と「みすず」が到着です。ほんと読むものがたまる一方でありま
す。本日のこれまでのところ、本を読む時間がとれていなくて、ほんとこれはいけな
いことです。
 この連休にあわせて来客があるので、その受け入れのための準備であります。とは
いっても、これは普段から心がけて整理整頓をしておけば、そうあわてることもない
のでありますが、なにせ日ごろの行いが悪いことでして。
 ということで安直に、本日届いた「みすず」から話題をいただき。
表紙裏は、小沢信男さんの「賛々語々」79となります。今月は金子兜太さんの句が
頭におかれて、季語はメーデーとなりです。
金子兜太さんは、1919年9月生まれでありますから、現在97歳。もちろん現役で、今も
新聞の俳句選者などをやっています。
 金子さんのメーデーの句に触発されて、小沢さんの「メーデー」への思いでありま
す。
「80年代には、国鉄、郵政、電信電話などの民営化このかた全国規模の労働組合が次々
に衰退、メーデーもどんどん影が薄くなる。昭和64(1989)年以降、全国藤一メーデー
は遂にナシとなりました。・・・・
 そもそも八時間労働が、メーデーのスローガンではないですか。人間らしく生きよう
ぜ。以来ざっと百年を経てこのざまとは。世の中の進歩とか豊かさとは、寝言のたぐい
か。
 平成生まれの若者諸君は、おおかたメーデー行進をご存じないのではなかろうか。
戦時下育ちの私らが知らなかったのと同様に。」
 当方は、いなかのまちでのメーデー集会に参加し、そのあと行進に参加したことが
ありです。労働組合の参加資格を失ってからはメーデー集会に参加することもなくなっ
たのでありますが、それにしても、その昔の春闘といえば、交通機関がとまるストなん
て当たり前のことであったのに、今は政府が雇用主に賃上げと労働条件の改善を要請す
るのが春闘のようになっているのですから、どうなっているのであります。
 最近読んだ本のなかに1952年のメーデーに参加したという話があって、これは田中
克彦さんの自伝にでありました。この時のメーデーは、皇居前広場での血のメーデー
いわれるものですが、小沢信男さんの新日本文学会での盟友、田所泉さんは、この時に
逮捕され、それからずっと裁判で争うことになったのでありました。