小沢信男著作 93

 このだらだらと続く、小沢信男さんのためのメモは、小沢さんの誕生日までは
続けるぞと思って、いまほど確認をしてみましたら6月5日がお誕生日でありました。
迂闊なこと、とっくに過ぎていました。
 それでは、昨日に引き続きです。
「学生が近代社会の担い手になり、近代文学の成果は、おおかた書生あがりに
よってつくられた。」とするならば、坪内逍遙がいうところの「わけても数多きは、
人力車夫と学生なり」のうち、「人力車夫」のほうはどうなったのかというのが、
この「車夫と書生の東京」のテーマです。
 それでは、「車夫たちが、文学の世界にどうあらわれたか」、つぎに「主人公と
なった小説があるか」、そして「車夫が書いた小説があるか」という問題意識です。
 明治三十年代に伊藤左千夫の有名な短歌に、次のものがありますが、これの「牛飼」
を「車夫」と読み替えて、小説にすればよろしいのでしょう。
 牛飼が歌よむ時に世のなかの新しき歌大いにおこる
 小沢さんの文章は、次のように続きます。
「堅気の労働者が、なんで小説などを書く必要があるか、という考えももちろんあろう
が、書いたらわるいか。小説を書生あがりにばかり任せているのも偏頗ではあるまいか。
・・・学生あがりの専門作家がつくる文学を、主に学生が読むという構造は、なにやら
消費生活者意識が中心にはならないか。偏頗とは、そのことだ。
 書生がいれば人力車夫もいる道理で、街にはつねにそこで働いて食っている人々が
いる。破壊と建設のいたちごっこで立つ瀬もなくされているこの街で、きちんと暮らし
をたててきた現実がある。彼らこそが街の主人公ではないか。」
 街について書き残すのは、ほとんどが書生あがりということになるのですが、彼らは
消費生活者で、彼らは街の主人公ではなく、すくなくとも大正の大震災前までは、
東京は職人の街であり、彼らが街の主人公であったといっています。