小沢信男著作 94

 「書生と車夫の東京」で「東京は職人の街で、彼らこそ主人公」とありますが、その
職人が主人公となる小説として、小沢さんは永井龍男さんの「石版東京図絵」をあげて
います。作者の永井龍男さんは高等小学校を終えてから奉公にでていることもあり、この
作品の主人公の境遇には、作者の生い立ちが投影されているとのことです。
「(この作品の)時期は明治末から大正なかば。ちょうど『三四郎』『普請中』『花火』
と同時代だ。だが、なんとちがう世界だろう。もちろん執筆時期が半世紀もはなれてい
て、こちらは回想録だという事情はあるが。それにしてもつくづくちがう。肌合いの冷た
さと、温かさが、それこそ山の手と、下町ほどにちがう。」
 下町にも肌合いの冷たさを感じることはあるでしょうが、小沢さんの基本的な認識は、
書生よりも車夫、山の手よりも下町に親しみであります。
小沢さんは、新橋よりの銀座で幼少時を過ごし、その後、父上が世田谷に越したのにあわ
せ世田谷暮らしをするのですが、家をでてからの住まいは、山手線の内側ではあります
が、どちらかというと、人からうらやましがられるところには居を構えず、旧制高校から
帝国大学へという書生への道においても、結核のために早々に断念でありました。
「くりかえすが、この『石版東京図絵』の温かさにくらべて、『普請中』『花火』の冷た
さはどうだろう。
 前者は失われた過去への愛情であり、後者は同時代への憎しみであり、そもそもモチー
フに温度差があるのだがら仕方もないか。
 前者の愛は、作者少年時の東京人ー正確には職人、ないし下町庶民層ーへの、慎みのあ
る共感である。職人への敬意は、人間への信頼と誇りでもあろう。・・・
『普請中』は、いうならこの程度の国民への嫌悪であり、『花火』は、いうならこの程度
の権力層への侮蔑である。と要約できなくもないだろう。結局、書いている人だけが近代
人でエラいのだ。」
 書生だけがエラいということでしょうか。そういえば、某大出版社の雑誌に犯罪ルポを
寄稿した時に、結語のところが勝手に直され、それ以来、この出版社とは縁が亡くなった
とありました。こうした大出版社は、立派な書生さんが多く在籍しているのでしょう。