小沢信男著作 135

 昨日に、小沢信男さんの「東京の池」のあとがきを転記していて、次のところで
はてなでありました。
 それは「元来イナセのはずの土地柄がノテと呼ばれて苦笑い」というくだりです。
イナセ というのは、なんとなくわかりますが、ノテとはなんのことでありましょう。
「ノテ」で辞書を調べても、検索をかけてもなにもでてはきませんので、これはその
前にある「川の手」から川をのぞいたものでしょうか。この「川の手」というのは、
「山の手」の対句であるとしか思えませんが、そうなると「山の手」のことも「ノテ」
なんていうことがあるのかなあ。
 この「東京の池」のどこかに、こたえがあるのかも知れませんが、それはこれからの
お楽しみにとっておきましょう。
 この本の成り立ちについて、小沢信男さんによるあとがきの続きです。
「そもそもは私・小沢が一九八五年秋から月刊『公評』に『東京の池』と題する紀行文
を載せたことに発します。やみくもに始めて十回の連載を終えてから、これも東京再発
見の方法だなぁと、おそまきに自覚を深めたのでした。そこで若い友人の冨田均を相棒
に引き込んだのが一九八七年秋。この健脚家はエンジンがかかれば疾風迅雷なのは明ら
かなので、これで大安心して一年たち、それから案の定、氏にあおられながらも私も
歩き直しました。東京や池をめぐりて丸四年、ですけれども、内容はかきおろしの新稿
です。
 氏との共同作業は、二人なら手分けして歩ける、という省力敵効果もさりながら、
それ以上に、独奏では叶わぬ二重奏の効果を積極的に意図しております。文末にTと
あるのが冨田均、Oとあるのが小沢信男。そしてこの一切を構成し督励した指揮者が、
作品社編集長増子信一です。」
 作品社と増子編集長は、小沢さん「車夫と書生の東京」と同じであります。