小沢信男著作 92

 「書生と車夫の東京」から続き部分です。
 「ともあれ明治十年代は、自由民権と鹿鳴館の欧化の時代だ。四民平等の新社会
建設の理念と、立身出世の栄耀栄華の欲望が、一緒くたに肯定された時代の明るさ
が、(「当世書生気質」)の文章にもみなぎっている。
 この新時代の担い手となるはずなのが学生諸君で、新旧の風俗入りみだれる東京
を舞台に、彼らのなんとなくクリスタルな生態を描いてみせたのが、この小説である。
文体は江戸伝来の戯作調ゆえ、いささか新しい酒を古い革袋に盛った案配だが、それも
時代の好尚に叶って、大いに作者の文名はあがった。」
 国語のお勉強をすると、明治の文学作品として、かならず「当世書生気質」はあがって
くるのですが、今にいたるまで読んでもいなくて不勉強なことであります。
戯作調ということもあって、夏目漱石の作品とは二十年ほどしかちがっていないのです
が、ずいぶんと読みにくい文体であると思ってしまいます。
 先日の田村義也さんも一部を引用している坪内の文章を、またすこし引用してみ
ます。
「さまざまに移れば変る浮き世かな。幕府さかえし時勢には、武士のみ時を大江戸の
都もいつか東京と名もあらたまの年毎に、開けゆく余沢なれや。貴賤上下の差別もなく、
才あるものは用いられ、名を挙げ身さえたちまちに黒塗馬車にのり・・中にも別て
数多きは、人力車夫と学生なり。おのおのその数六万とは、七年以前の推測計算方、
いまはそれにも越えたるべし。」
 これにひき続く、小沢さんのコメントです。
 「以後も、東京にますます学生はふえて、近代社会の担い手にとなってゆく、文学の
世界も例外ではなくて、近代日本文学のかずかずの成果は、おおかた書生あがりによって
つくられてきた。描かれた素材も多くは、その書生あがりどものよしなし事といって
しまっては語弊はあるが、彼らの生活環境を大きくはずれることはあまりなかった。」