小沢信男さんの「書生と車夫の東京」の木下教子さんのところでとまっていました。
この本のあとがきは、父親との対話という形で書かれています。
父親とおぼしき人がつっこんで、それに著者が答えるという格好になっています。
「・『書生と車夫の東京』? 明治の本かい、これは。
・いまの本ですよ。新刊の私のエッセイ集です。明治・大正・昭和の三代にわたる日本
近代の足跡を、マル金とマルビ、権力と犯罪というふうに、表と裏の合わせ鏡で見なおし
てみたいというこころ。第一章と第四章が対応してます。書生と車夫というのも、ひとつ
の対立項として、いや、じつは二焦点の対立のつもりで。これが本書のキー・ワード、
つまり鍵ですなあ。
見よう見まねで若いときからやってきた文学運動について書いたものが、第二章にまと
めてあります。運動の中で出会った忘れえぬ先輩・同輩・後輩たちのことをね。・・
第三章は、映画と演劇の時評です。近年のものだけを収めました。この章にかぎらず、
どの章も1980年代に書いたものが殆どです。・・・
あれこれ多角経営の見本帖みたいだけれども、おおむね二焦点で統一されている。
やはり運動の中で揉まれながらひとすら書いてきたんだと、しみじみ思います。おまけに
田村義也さんに装幀していただいて有難いことです。」
「二焦点の対立」というのをみると、花田清輝さんの文章のことを思います。
あとがきは父親との対話形式と記しましたが、小沢さんの御父上は、後年には大きな
ハイヤー会社の役員さんをしていた方ですが、大正9年に運転免許を取得したときに、
東京中で運転できる男が千人くらいしかいなかったとのことですから、業界の草分けと
いうことになるのでしょうか。
このあとがきには、御父上の口を借りて次のようにもあります。
「・本を読んだり映画を見たり、のらくらしていた若い時分と、あまり代わりはないんだ
な。それでよく食えるもんだ。食っているのかい。
・食ってますとも、小食ですけど。でも昔は、わからずやのクソ親父と思ってたけれ
ども、その後はおおむね、ひそかに尊敬しておりますよ。なにしろ古い運転手ですもの
ね。いうなら車夫の倅なんだオレも。
・けッ、車夫と一緒にされてたまるか。」
今回の「SHURE」の本のタイトルのヒントは、こちらにありましたか。
「食っているのか」というのは、御父上の口調であるようです。なるほどな。
「こうして一冊にまとめてみると、これでなにかが一段落、という思いもあります。
おかげでこれからはもっと気楽なところへ、ぬけでていけそうですよ。」
自ら書いていますが、この著作で「なにかが一段落」という感じは、当時に手にした
当方も思いました。これなどもっと話題になってもよかったのにな。