小沢信男著作 87

「書生と車夫の東京」に収録の木下教子さんに関する二つの文章は、一年内くらいに
書かれたものと思われますが、遺稿集を寄せた追悼文と遺稿集についての書評となります。
 小沢さんが文学学校のチューターとなり、人物も作品も良く知っているわけですから、
遺稿集に寄せた文章と、遺稿集ができてからそれを読んでの印象は、ほとんど違うことは
ないと思われるのですが、遺稿集に寄せた文章は、木下さんの評価として一面的過ぎたと
書評のなかで不明を恥じています。
 遺稿集に寄せた文章を書いた時に、それなりに古くに書かれた木下さんの作品などを
目にしておられるのでしょうが、最初に読んだ時の印象を元にして書かれたのでしょう。
遺稿集がまとまって、それを通して読んでみますと、まるでかってとは印象が違って、
あらためてこれを紹介する必要を痛感したのでしょう。
 遺稿集に掲載の追悼文「微笑の人」には、具体的な作品にふれるものがほとんどなく、
小沢さんも参加していた「文芸世紀」に、木下さんが発表した<住宅問題について>の
論文に言及していました。
「統計表なども引用した堂々たる論文で、私は一驚した。頰笑む娘が、理論的女子に急
成長したようで。
 彼女が、木下昌明君と世帯をもったのは、それから暫くしてからではなかったろうか。
なるほどと得心がいった気持がした。住宅問題が切実に焦眉のことであったのだろう。
その悩み方に、理論家の連れ合いのおのずからの感化もなくはなかったろう。主題は
長く彼女の内にあり、それに彼が惹かれたのかもしれなかった。」
 この前のところで、小沢さんは「文芸世紀の十ナン号目だかに」と書いていますので、
上に引用したくだりは、十数年前の記憶に基づいていると思われます。こうした十数年
前の自分を「とかく才気を好んだ」と記しています。
 この遺稿集が出来あがり、それを読んでからは、先日に引用したように変わるのであり
ました。
「これは一箇の夭折した才能を顕彰する短篇集、といった本では、どうやらない。
この一冊の総体がひとつの文学的営為、といった本で、どうやらあるのだ。
 なかでは『闘病日記』が圧巻、と私は思う。・・・
 重ねていうが、本書は、書くべきことを一杯に持ちながら中道に倒れ、しかし書ける
限りは着実に書いた、平凡で無名なひとりの女性の生涯の書だ。ここに文学がある。
 何も書くことはないのに、日に夜を継いで書きまくらなければならないのが、現代
文学の主題だ、などという説は、なんとまあ、惨めで滑稽な寝言だろう。」