佐多稲子さんの「私の東京地図」は全12の短編の連作よりなります。
短編にはそれぞれ表題がついていますが、それと主な舞台は次のとおりです。
1「版画」 向島
2「橋にかかる夢」 向島
3「下町」 上野池之端
4「池之端今昔」 上之池之端
5「挽歌」 日本橋
6「坂」 牛込神楽坂
7「曲り角」 三田 目黒
8「表通り」 駒込神明町
9「川」 根岸
10「移りゆき」 鶯谷 浅草 大塚
11「表と裏」 十条
12「道」 高田馬場
この作品の舞台となった地を、東京地図で確認してみていただきたいと、小沢さんは
いっています。
「主人公は、川向こうから歩みだして、浅草、上野、日本橋と進んでゆき、神楽坂に
ゆき、三田を通って目黒にゆく。東京のなかを、東から南まわりで西へと移動してゆく
のです。下町から山の手へです。長屋から文化住宅へ、女工から若奥様へ。
この作品は、すなわち<稲子西へゆく>という物語なのです。」
というのが前半まででありますが、目黒は資産家の息子と新婚生活を送ったところで、
それが破綻して、東にUターンというのが後半になります。
「 後半は、田端からスタートして鶯谷周辺、浅草、そして大塚、十条ときて、次の
終章『道』では高田馬場に至ります。東京を東から、こんどは北廻りで西へむかうのです。
・・
山手線でいえば、前半は上野から外廻りで目黒まで。後半は内廻りで高田馬場まで、この
外廻りは、川向うからひとり脱出の道で、いうなら近代への憧憬コースでしょう。
内廻りはそれを否定して『人に連れ立たれて歩調を揃えて気負って歩いた道』でもある
が、つまり川向うの人々とともに解放をめざす道であります。」
住まいの変遷が、そのまま個人史につながるのが「私の東京地図」の世界であります
ね。
「いつの日か不肖ながら私もまた<僕の東京地図>の一冊をまとめたい、という気持ち
になります。その一冊は、この東京に生まれて『東西も知らず』にぼんやり育った私が、
いまや東京の東西をどのようにわきまえるに至ったか、ということの記録になるはず
です。」
小沢信男さんの<僕の東京地図>というのは、すでに書かれたのでしょうか。あちこち
に書かれた東京ものを、つなぎあわせれば、それに近いものとなるのかもしれませんが、
やはりこれからに期待でありましょう。