小沢信男著作 71

 佐多稲子さんの「私の東京地図」は全12の短編の連作よりなります。
 短編にはそれぞれ表題がついていますが、それと主な舞台は次のとおりです。
 1「版画」     向島
 2「橋にかかる夢」 向島
 3「下町」     上野池之端
 4「池之端今昔」  上之池之端
 5「挽歌」     日本橋
 6「坂」      牛込神楽坂
 7「曲り角」    三田  目黒 
 8「表通り」    駒込神明町
 9「川」      根岸
10「移りゆき」   鶯谷 浅草 大塚
11「表と裏」    十条
12「道」      高田馬場

 この作品の舞台となった地を、東京地図で確認してみていただきたいと、小沢さんは
いっています。
「主人公は、川向こうから歩みだして、浅草、上野、日本橋と進んでゆき、神楽坂に
ゆき、三田を通って目黒にゆく。東京のなかを、東から南まわりで西へと移動してゆく
のです。下町から山の手へです。長屋から文化住宅へ、女工から若奥様へ。
この作品は、すなわち<稲子西へゆく>という物語なのです。」
 というのが前半まででありますが、目黒は資産家の息子と新婚生活を送ったところで、
それが破綻して、東にUターンというのが後半になります。
「 後半は、田端からスタートして鶯谷周辺、浅草、そして大塚、十条ときて、次の
終章『道』では高田馬場に至ります。東京を東から、こんどは北廻りで西へむかうのです。
・・
山手線でいえば、前半は上野から外廻りで目黒まで。後半は内廻りで高田馬場まで、この
外廻りは、川向うからひとり脱出の道で、いうなら近代への憧憬コースでしょう。
内廻りはそれを否定して『人に連れ立たれて歩調を揃えて気負って歩いた道』でもある
が、つまり川向うの人々とともに解放をめざす道であります。」
 住まいの変遷が、そのまま個人史につながるのが「私の東京地図」の世界であります
ね。
「いつの日か不肖ながら私もまた<僕の東京地図>の一冊をまとめたい、という気持ち
になります。その一冊は、この東京に生まれて『東西も知らず』にぼんやり育った私が、
いまや東京の東西をどのようにわきまえるに至ったか、ということの記録になるはず
です。」
 小沢信男さんの<僕の東京地図>というのは、すでに書かれたのでしょうか。あちこち
に書かれた東京ものを、つなぎあわせれば、それに近いものとなるのかもしれませんが、
やはりこれからに期待でありましょう。