昨日に、小沢信男さんが自分の小説について「せいぜい二通りぐらいにしか書いて
いない」というのは謙遜が過ぎていると記しましたが、それじゃどのくらいに分ける
ことができるのかと、すこし考えています。
小沢さんは、ずっと作家または小説家とよばれる活動をしているのでありますが、
小説作品は、そんなに多くないのでありました。
最新刊の「小沢信男さん、あなたはどうやって食ってきましたか」(SURE)の
なかには次のようにあります。黒川創さんの質問に答えてのものです。
「 黒川 小説というのは、ときどき、ふいとそういうふうに書きたくなりますか?
それとも、自分のやりたいようにやっていたら、すこしずつ離れていくという感じ
ですか。
小沢 小説を書こうという気持ちは、ほとんどなくなっちゃっているなあ。
二十代、三十代のころまでは、一つのスタイルで書くと、また次は別のスタイル
で書こうという気があってさ、短編だけど、それが楽しかった。でも、いくら
なんでも限度がある。・・・
小説はウソをつこうという意欲だな。それは二つあって、自分のことも、私小説
というふうには書いていないつもり。それからまったく空想譚みたいな、絵空事を
書いてみたいという気持ちが一方である。」
どうやら、小沢信男さんがいうところの「せいぜい二通り」というのは、これで
ありますね。「私小説のようにかいたウソ話」と「まったくの空想譚」という二つ
ですか。今回のSUREの本は、「小さな楽屋より」の後日談であるようです。