メディア・アート創世記 15

 ブルーノ・ムナーリとならんで、坂根さんが紹介した人で、当方の印象に残っている
のは、M・C・エッシャーであります。日本での知名度ということになりますと、この
エッシャーさんのほうがずっと上ということになるでしょう。
 坂根さんは、朝日新聞社にいたときにハーバード大学に留学しますが、それを終えて
帰国する途上で、ヨーロッパにわたり、エッシャーを訪ねたのだそうです。そんな最近
までエッシャーが健在であったとこに驚きです。
「ニーマン・フェローの任期が終わって、日本に帰るまでの二週間を利用して、
ヨーロッパへの旅を実施した。デザイン評論家 勝美勝氏の勧めもあって、ウィーンで
開かれていた国際グラフィック団体協議会に出席するのが目的だったが、その途中で、
当時、芸術家のための養老院に引っ越ししていたM・C・エッシャーを訪ね、短時間で
あったがあうことができた。それがきっかけでエッシャー家との交流が始まり、
エッシャーの本を何冊も翻訳する機会に恵まれることになった。・・・
 エッシャーの父親が明治の初めに日本政府から招かれたオランダの水理技術者の一人
であったことなど、エッシャーと日本の縁はそれ以外にも深い。」
 帰国は71年7月とありますので、エッシャーはその時は健在であったのですね。
「遊びの博物誌」でも取り上げられているのですが、まさかこのように日本でも
知られるようになるとは、その時は思ってもみませんでした。

 ほとんど変色しているのですが、集英社文庫の不織布製カバーエッシャーの作品が
採用されていました。同じ絵柄で、二色が用意されていたように思います。これがいつ
頃のことかと思いますが、どちらにしても、「西武百貨店」が「不思議、大好き」と
いうコピーで文化シーンをリードしていた時代と重なるような気がします。