メディア・アート創世記 8

 坂根厳夫さんが朝日新聞に「遊びの博物誌」の連載を開始したのは75年暮れのことで
あったようです。(単行本となった「遊びの博物誌」を見たら、わかると思うのですが、
いまは本を見つけることができておりません。週末までこの話題を続けていましたら、
探し出すことができますでしょう。)
「メディア・アート創世記」には、「最初の朝日新聞の連載を終えて、一冊の本として
出版された『遊びの博物誌』と、二度目の連載をまとめた『新・遊びの博物誌』。
安野光雅氏による装丁。」とあって、書影が掲載されています。
 安野光雅さんは、「遊びの博物誌」と分かちがたく記憶に残っています。あとは、
やはりエッシャーでしょうか。
 「たまたまその頃、私がエッシャーの作品についても記事を書いていることを知った
アメリカのコルネリウスルーズベルトという人から、一通の手紙が舞い込んだ。
彼はエッシャーの作品のコレクターの一人で、・・・近くオンタリオ・サイエンス・
センターで開く『だまし絵』展に、企画を担当している知人からエッシャーのような
日本のだまし絵作家を捜しているという。
・・日本から推薦できる作家として、安野光雅のだまし絵的作品や、吉本直貴の『たた
める造形』、片岡昌の人体で構成された『大顔面』、それに秋山泰計の『おびからくり』
などを紹介することにした。」
 安野光雅さんだけでもいろいろと記することがありそうです。安野さんがストーン・
ブレイン名義で記した本のとか、福音館書店からだしたABCの本などのことが思い出され
ます。この時代の安野さんといえば、まずは不思議な絵の作者でありました。
 安野さんが大きな影響を受けることになったエッシャーは、集英社文庫が刊行された
ときにおまけのように制作された文庫カバーのデザインとして採用されていましたですね。
(これもどこかにあるはずですので、さがしてみることにいたしましょう。平日の夜に
思い出して、週末にはそれを捜すということが続きそうです。)